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覚え書の用途で、最近の原稿を単に結合しました

投稿者:miyadai
投稿日時:2009-10-12 - 09:40:35
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(1)
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自民党がクズカゴに入った後、民主党の課題は何か?
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【17年前に自民党は死んだ】
 今回の政権交代は驚きがない。自民党政治は92年頃に終った。その後17年自民党支配の継続こそ驚きだ。偶発的要因が重なった結果だ。92年までに何がどう終ったか。自民党凋落の最大原因は農村政党だったから。農業を大切にするのではない。農村で集票するのだ。日本は戦後復興を農村余剰人口で遂げた。その延長上で人口を都会に移転させ(金の卵!出稼ぎ!)高度経済成長を遂げた。見返りを農村に再配分した。農業振興でなく公共事業=土建屋行政で。農業は生産性が低いからだ。だがこの図式は「時限装置」だ。集票すべく土建屋行政をすれば、農村はそれに依存する。農業は疲弊、農村は空洞化、いずれ集票母体として成り立たなくなる。事実92年頃から農村基礎票の沈下(絶対得票率低下)が始まった。
 関連して、80年代後半の第二次竹下内閣から米国による日本への「内政干渉」が始まる。農産物自由化、四百兆円公共事業、大店法緩和、建築基準法緩和、郵政改革、裁判市民参加などが日本側がのんだ米国側からの要求だ。米国は日本の要望を何一つ聞かない。誤解を塞ぐと、米国が無理強いしたのではない。日本国内に米国の要求を口実に権益拡大する勢力があるだけ。実際米国の膨大な要求リストを全て聞いたのでなく、竹中平蔵・宮内義彦など利権勢力がピックアップした。いずれにせよ冷戦体制終焉と軌を一にして「対米追従」と「国土保全」は両立しなくなる。因みに80年代日本の製造業一人勝ちゆえに、「安保タダノリを許さず、国力を削り取ること」が米国の目標になり、米国の軍事戦略に日本を「ポチとして」巻き込む図式として1997年の日米安保共同声明が出された。まとめると「農村政党たるがゆえに自民党が滅びること」。「自民党が農村政党だった背景に安保があり、安保ゆえの対米追従が国土荒廃を招くこと」。この2要因で自民党終焉が説明できる。

【自民党ゾンビが国を滅茶苦茶に】
 92年までに終ったはずの自民党は、93年細川内閣の後、ゾンビ的に生き延びた。日本はどうなったか。

1)日本の自殺率は英国の3倍、米国の2倍、西側先進国では突出して第1位。
2)日本の一人当りGDPは2000年に世界3位だが、当時既に自殺率先進国第1位。
3)日本の道路予算が縮小された今でも英独仏伊の道路予算を合わせた額と同額。
4)日本の教育費が公的支出に占める割合は、他の先進国が5%台なのに3.5%
5)日本の子育て支援費の割合は、他の先進国が3%台半ばなのに1.5%。
6)日本の就業時間は米国を除く先進国が1300~1500時間なのに、1900時間台。
 [サービス残業を含めると2200時間」

 日本は経済を回すために社会を犠牲にしてきた。社会の穴を、辛うじて回る経済が埋め合わせた。だから経済が回らなくなったら社会の穴が随所で露呈した。金の切れ目が縁の切れ目。これが続く限り今後も経済次第で人が死にまくる。経済成長で全てが良くなるという竹中平蔵ビジョンはポンチ絵だ。こう結論できる。「経済を回すために社会を犠牲にしてはならない。国家も経済も社会を回すためにある」。その限りで経済を回すことは重要だ。だが竹中ビジョンの本末転倒は許されない。

【日本の政治を標準的枠組にマッピング】
 権威主義(まかせる政治)か参加主義(引き受ける政治)かの軸。談合主義(コーポラティズム)か市場主義(自由放任主義)かの軸。かけ合せて四象限で記述すると、欧州は「参加主義的談合主義」で米国は「参加主義的市場主義」。欧州型が標準で米国型は特殊だ。米国が市場主義でやれるのは宗教国家だから。建国史に支えられた「市民宗教」があり、分厚い教会/NPO/ボランティアの活動がある。
 欧州で保守と言えばフランス革命つまり「市民の自由」を懐疑する。米国の保守は独立革命つまり合衆国憲法が保証する「市民の自由」を護持する。欧州では保守すべきものが「談合主義」。米国では保守すべきものが「市場主義」となる。逆に欧州でリベラルと言えば「国家を懐疑する」。米国リベラルと言えば「市民の自由を懐疑する」。違いはあるが「参加主義」は共通だ。それが近代政治だ。
 誤解しやすいが、欧州の「談合主義」はフルオープン。日本は密室談合だ。四象限図式にマッピングすれば自民党政治は「権威主義的談合主義」。「権威主義的談合主義」は談合主体が共同体から信頼されれば機能するが、信頼を失えば「誰かがどこかでウマイことを…」の疑心暗鬼が蔓延する。蔓延したから小泉改革で「既得権益打破=談合打破」となって市場主義化した。「権威主義的談合主義」は密室談合ゆえの政官財「鉄のトライアングル」内の貸し借り(前回アンタに譲ったから今度はオイラ)のオンパレードだ。社会が単調に富裕化する時代は良かったが、グローバル化状況では非合理だ。「貸し借り」に拘束されれば過去に拘束され、流動的な環境への適応力や学習力を失う。

【「頭が悪い」市場主義はコケる】
 市場主義が機能するにも「参加主義」が前提だ。市場の負の外部性を「事後に」補完する市民宗教も「(共和党的)参加主義」なら、市場の前提たる機会の平等を「事前に」確保すべく再配分要求するのも「(民主党的)参加主義」。だが小泉政治は「権威主義的市場主義」だ。市場主義が健全に機能するにはフェアネスが必要で、機会の平等が市場制度の正当性を担保する。東大に金持ちだけが入る状況が続けば市場主義は正当性を失う。フェアネスを求める動きは参加で生じる。小泉=竹中政治は「市場を重視すれば社会がうまくまわる」とのデマゴギーに市民を依存させた。かかる「権威主義的な市場主義」は後発国のものだ。
 このマッピングを踏まえれば日本の抱える問題は明白だ。日本の労働組合が非正規労働を放置したのは、欧州の「参加主義的談合主義」が不在だから。日本の市場主義が格差を事前ないし事後に手当てしないのは、米国の「参加主義的市場主義」が不在だから。グローバル化が資本の流動性を上昇させた今日、参加しなければ社会は回らない。社会が回らなくなれば経済も回らなくなる。オバマに投票した割合が最も多いのは年収20万ドル以上の富裕層。彼らは「社会が回らなくなれば経済も回らなくなる」ことをブッシュ失政から学んだ。市場主義の総帥ミルトン・フリードマンさえ「教育と医療については市場化してはならぬ、市場の前提が崩れるから」とした。実際サッチャー=メイジャー政権のネオリベ政策もこの二つを崩し、ニュー・レイバーにとってかわられた。ブッシュ政権からオバマ政権への交代も同じだ。

【日本が変わるには最低30年】
 日本が向かうべき方向は「参加主義的談合主義」だ。自己決定的主体が育っていない以上「市場主義」はとれない。オレオレ詐欺に引っかかった婆さんに「自己決定的に振舞え」というのは酷だと思うのが日本人。それは美徳だ。ならば「談合主義」しかない。だが利権固定化と学習的適応障害を除くべく「参加主義」で透明化する必要がある。談合クローゼットの扉を開いた状態にし続けることができるかどうかだ。だが私自身は悲観的だ。
 今回も選挙前は「民主党に任せられるか」という議論が、選挙後は「お手並み拝見」という態度が拡がる。自らが引き受けるものとして政治を捉える経験がない以上仕方ない。お任せ政治には根深い歴史がある。17世紀以降の江戸時代の治世の成功だ。だから日本人は“お灸をすえる”以外の投票を知らない。ポジティブな政策に投票するのでなく、「任せてたのにズルしやがって」と憤激して投票する。「抵抗勢力」に憤激した05年郵政選挙。今回の「官僚が悪い」「自民党が悪い」。そもそも「自民党にお任せ」することで「官僚にお任せ」してきたのは誰か。小泉=安倍的な「断固・決然」にカタルシスを得て20年遅れの冷戦体制図式の下で自民党を保守だと思い込んできた「2ちゃん系ウヨ豚」は誰か。能天気な「お任せ」と「ウヨ豚」を反省することなくして未来はない。「参加主義」が日本を覆うのに30年かかる。1世代が完全に退場するのに必要な時間だ。

【自民党というクズ、民主党という初心者】
 自民党は人材的にクズしか残っていない。まともな国会質問ができるタマがない。先日の総裁選を見よ。派閥がどうたらこうたら。政策はどうした。旧経世会の枢要な人材は既に民主党に移った。麻生と安倍が選挙終盤で主導した選挙のネガティブキャンペーンも「2ちゃん系ウヨ豚」レベルゆえに墓穴を掘った(情報通信学会・間メディア研究会のデータhttp://sankei.jp.msn.com/politics/election/090923/elc0909230719000-n1.htm)。ネガティブキャンペーンは末端の兵隊が実行するもの。トップがネガティブキャンペーンの音頭を取ってはならぬ。それが麻生と安部のレベルだ。人材的にクズだらけの自民党に復活の目はない。それより、半分に割っても自公合計より衆院議席の多い民主党。自民党復活よりも小沢幹事長を中心とする政界再編の方が現実的だ。参院選で過半数を獲得すれば……。
 懸念があるのは、難しい時代の政治が政策的な賢明さと政治過程的な賢明さを両方要すること。政策的な賢明さは説明を要しない。政治過程的な賢明さとは、何かを実現したいときどんなボタンをどんな順番で押すべきかという知恵だ。自民党時代、与党政治家は政策に関心がなかった。せいぜい政治過程のため(勝ち負けの争い)の手段として政策があった。本末転倒。本来は政策の手段として政治過程がある。民主党は、松下政経塾系が前者を競い、小沢一郎系が後者を競う傾向がある。このあり方は、両者が結合したとき強力になるが、政策系と政治過程系に分裂するのであれば時間の無駄遣いになろう。