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裁判員制度の問題点を訴えておられる西野喜一氏のお話を斎藤貴男氏と宮台が伺いました

投稿者:miyadai
投稿日時:2008-11-26 - 10:34:09
カテゴリー:イベントなどの告知 - トラックバック(0)
宮台発言のみ一部紹介しますが、12月中旬発売の『サイゾー』に全体が掲載されます。




宮台◇ [陪審なり参審なりで審理に「3日程度」という枠をつけている国がないということは]大変なことですね。審理の適正性よりも迅速性を上位に据えているかのようです。単に裁判員制度が回ればいいのか。そうした疑念を抱かせるだけでもこの制度には問題があります。


宮台◇ [なぜ最初から市民参加ありきの議論だったかというと]大雑把にはポストモダン化がもたらすポピュリズムの問題です。“〈生活世界〉を生きる「我々」が〈システム〉を便利だから利用する”と素朴に思えるのがモダン(近代過渡期)で、〈システム〉が全域化した結果“〈生活世界〉も「我々」も〈システム〉の生成物に過ぎない”という疑惑が拡がるのがポストモダン(近代成熟期)です。
 ポストモダンでは、第一に、社会の底が抜けた感覚のせいで不安が覆い、第二に、誰が主体でどこに権威の源泉があるのか合意しにくくなる正統性の危機が生じます。不安と正統性危機は「俺たちに決めさせろ」という市民参加や民主政への過剰要求を生みます。だから神保さんが言うように「右にも左にも意味がある」のです。体制側は危機に陷った正統性を補完でき、反体制側は市民参加で権力をチェックできるわけですから。でも抽象的には左右双方にとって(1)不安を抑え(2)正統性の新たな支えを築く機能は共通です。
 ところが人文知の重要な知見は、ポストモダン化が市民のイノセンス(無垢)を信頼できなくすることです。個人的見解では権威や正統性の劣化を市民の合意で補完するのは危ない。法哲学ではジョセフ・ラズは法生活において庶民感覚や生活感覚を当てにしてはいけないとし、その都度の状況に依存する感情的反応から比較的中立的な、長い歴史の蓄積で培われた知恵を使える専門家が必要だと言います。
 社会学のメインストリームである正統性論も同じ発想です。市民参加で正統性を補完しようにも、馬鹿マスコミの影響も含め、どのみち市民のイノセンスは信じられないから正統性の混乱はやみません。ならば権威の源泉の、補完ではなく建て直しを構想すべきです。


宮台◇ [とりわけ日本で裁判員制度を導入する際の障害は]日本では推定無罪の原則が理解されていないことです。神様の目から見たら本当はその人が罪を犯しているかもしれない。でも人間は有限であるゆえに間違う。裁判で有罪の者が無罪になったり、無罪の者が有罪になったりする。だからこそデュープロセス・オブ・ロー(適正手続)がある。法的真実は真実それ自体じゃないが、だからといって「何でもあり」は困る。立憲制国家では社会(に紛れた悪人)よりも国家(の権力濫用)の方が怖い。
 であれば、千人の罪人を放免するとも一人の無辜の民を刑することなかれ。本当は人を殺していても適正手続のもとで証拠不十分で無罪になるのは仕方ない。無実の人が不適正な手続で死刑になるよりはマシ。それが適切手続の意味なんですね。昨今は「悪い奴が無罪になるような法は無視してしまえ!」という世論が目立ちます。「法原則に対する感情原則の優越」が拡がっています。そうした背景があっての日本的な正統性危機です。正統性危機への対処が「感情原則の優越」への迎合を意味するなら言語道断です。


宮台◇ [公判前の論点整理手続の問題点をいうと]近代裁判の基礎は起訴状一本主義の対審制です。たとえ虚構であれ、裁判官は白紙の心情で裁判に臨み、検察側・弁護側の主張を初めて聞き、どちらの主張が真実かをジャッジする、つまり野球やテニスの審判と同じだという理念です。この理念に完全に反します。少年法改正の際に話題になった「起訴状一本主義の対審制でなく、大岡裁きの温情主義じゃないか」という議論はどこに行ったのか。そんなものを裁判と呼んで良いのでしょうか。


宮台◇ [法制度改正を評価する場合の基礎教養をいうと]原初的な社会では民衆が司法に参加していました。血讐原理といいます。自分の部族の者が殺されたら相手方の部族を殺し返すこと。これは権利であると同時に義務です。報復しないと、対抗意思を表明しなかったので権利を放棄したと見做されるからです。こうした同害報復の血讐原理で人類は何万年もやってきました。
 ところが制服被征服や階層分化で社会が複雑化すると、人々が共通感覚を持たなくなって何がどこまで許されるのか分からなくなり、血讐原理では復讐の連鎖が起こります。そこで人類は「権威ある裁定者」を作り出します。新約聖書の山上の垂訓に「権威ある者の如く語った」とありますね。その人が喋れば誰もが従うということ。各人の感情は感情として裁定者に委ねるのです。
 でも元来は法的裁定をするだけで法的執行(処刑=復讐)は当事者に任されていました。ところがそれだと当事者に負担がかかって弱い者は泣き寝入り。なので近代社会では司法権力を内蔵した統治権力が、裁定だけでなく執行もすることになり、強力な物理的実力を保有します。かくして統治権力が危険な存在になったので、それを中和すべく推定無罪の原則が生まれました。同時に、英米法的な判例法主義にせよ大陸法的な成文法主義にせよ「法の発見」(もともと存在したものを見出す)というロジックが使われます。
 感情的納得と正統性(自発的服従契機)とが別物で、その典型が推定無罪であることなど、審議会の方々は議論したのですか。


宮台◇ [裁判員制度導入を答申した司法制度改革委員会の13人の委員のうち過半数の7名が完全な非専門家だったという事実は]神保さんが番組でも度々おっしゃっていることですが、審議会メンバーの選の段階で法務官僚に一定の意図があったと考えるほかありませんね。まさに茶番だったわけです。