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天才アーキテクト神成淳司氏との共著本『計算不可能性を設計する』まもなく上梓!

投稿者:miyadai
投稿日時:2007-03-13 - 12:42:29
カテゴリー:イベントなどの告知 - トラックバック(1)
あとがき

■神成淳司という凄いアーキテクトがいるという話をウエイツの中井健人さんから伺ったのは、二〇〇六年の建築コンペを審査した直後だった。アーキテクトとはアーキテクチャを作る人。昨今ではアーキテクチャが建築よりも広義の情報環境を意味するようになった。
■岐阜県立国際情報科学芸術アカデミーで助手をしながら、県行政の電子化に関わり、情報管理行政はもとより県行政全般にさまざまな改革プランを提案した男。かつて私も大教室でコンピュータ言語を教わった石井威望東大名誉教授の、最後で最大の秘蔵っ子の一人。
■アーキテクトが事実上社会的全体性に関わるデザインをしているというのに、アーキテクト自身が社会的文脈に無自覚なせいで、意図した効果が実現できず、意図せざる帰結がもたらされる。狭義のアーキテクチャである建築について、そうした例を幾度も見てきた。
■社会学者としては不満だ。そうした不満を至るところで述べてきた。建築家ネットワークについてはある程度のコネクションがついた。だが広義のアーキテクチャである情報環境の全体設計に関わるアーキテクトについてはどうコネクトしていいのか分からなかった。
■そんな不満を汲み取って中井さんが神成さんのことを教えてくれた。会わせてもいいが、本を作ることが条件らしい。建築家と違い広義のアーキテクトは社会的認知が低い。なのに広義のアーキテクチャの及ぼす社会的影響は甚大だ。だから天才神成を売り出すのだと。
■すぐに同意した。TBS局内のカフェで神城さんを紹介してくれる運びになった。カフェに出かけた。あれれ。天才アーキテクトを紹介してくれるはずなのに、中井さんの横に二十歳そこそこの学生しかいない。下準備ということか。と思ったら、彼が神城さんだった。
■本文にもある通り、行政も企業も制度は権益まみれ。利害拘束下にあるエージェントが跋扈する伏魔殿に出入りしないと、制度設計を含むアーキテクチャの変更は実現できない。下手すりゃ関連業者に命を狙われる。神成淳司とはどんなタフガイなのか……と思いきや。
■初対面でそのことを述べた。昔フィールドワークをしていた頃の宮台さんと同じで、相手を警戒させないことが大切なんですよ。愛らしい顔をニコニコさせて神城さんが答える。確かに自分もかつては茶髪&ブルーコンタクトで仕事をしていた。こ、こいつ、デキル…。
■雑談の中ですぐに、アフォーダンス理論のジェーネズ・キブソンの名前や、日本でも『科学論の展開』で知られるA・F・チャルマーズの名前が出た。双方とも、社会的分業体制が可能にする潜在的行動連関が、客観的でも主観的でもない人間の認知を与えると議論する。
■アフォーダンスは本文で触れたから、チャルマーズの言葉を紹介する。《物理的状況でひとつに決まるのは観察者の網膜上の像である。しかし観察者はこの像と直接の知覚的接触をもたない。知覚に関する限り、観察者が直接に触れる唯一のものは彼の経験である》。
■神成さんは天才に必須の認識を持っておられた。社会的全体性を前提とする潜在的行動連関は、諸事物の享受可能性を規定することで認知を与える。ITを含めて技術が享受可能であるか否かは、潜在的行動連関ひいては社会的全体性を観察しなければ分からない──。
■更に踏み込めば、技術の享受「を」可能にするのは潜在的行動連関だが、技術の享受「が」新たな潜在的行動連関を開示する。社会的全体性が技術を方向づけると同時に、技術が社会的全体性を方向づける。それに無自覚であれば技術は意図せざる帰結をもたらす──。
■神成さんがそのことを先刻承知なのはものの数分の会話で分かった。ところが言うは易しで、潜在的行動連関を知るには「現場」に通暁せねばならない。社会的全体性を参照するには「教養」──旅を通じた自己形成という原義──が必要だ。どちらを欠いても駄目。
■神成淳司はどうか。そう思って対談に臨んだ。凄い人だと感じた。技術「を」可能にする潜在的行動連関「を」可能にする社会的全体性。技術「が」可能にする潜的行動連関「が」可能にする社会的全体性。双方を観察するのに必要な「現場」と「教養」が彼にはある。
■凄い人だと思いつつ、アーキテクトの仕事を羨ましく感じた。今のセンテンスにおいて、“技術「を」”を“社会学「を」”に置き換え、“技術「が」”を“社会学「が」に置き換えられれば素晴らしい。だが社会学者は既にかかる問題連関から隔離され、期待されていない。
■とはいえ、社会学には社会的全体性を参照しようという思考伝統があり、かかる伝統の中で「技術と社会」を巡る思考蓄積をしてきた。この蓄積を、社会的全体性を参照しようとする有能なアーキテクトに橋渡しすること。それが私の役割だと感じ、役割を演じた。
■役割演技の正否は読者に任せるしかないが、学会内の「立ち位置」の維持にだけ関心を寄せる者や、学会内でしか意味を持たない「社会批判」とやらを反復する者に、ウンザリしている私には、アーキテクチャの設計に日々邁進する神成さんとの対話は、至福だった。
■だがこの至福は、アーキテクチャの暴走という地獄のイメージと表裏一体で与えられている。地獄を回避したいという思いが神成さんと中井さんと私とを結びつけた。神成さんを紹介して下さった中井健人さん、至福を与えて下さった神成淳司さんに、感謝します。