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K Dub Shineこと各務貢太氏がただ一人渋谷から世界に光を放つ不幸な時代

投稿者:miyadai
投稿日時:2004-06-08 - 15:04:52
カテゴリー:お仕事で書いた文章 - トラックバック(6)
~K Dub Shine新作ソロアルバム『理由』解説~

【根城は渋谷】
■アメリカでも今じゃHipHopといやあ、いかに金かけたPV作って姉ちゃん侍らせるかが優先的な奴らがのさばっているなか、日本中どころか世界中で真面目にHipHopやってるのを探したら、もうこの人しかいない。そうだ、各務貢太氏しかあり得ないだろう。
■京都の山のふもとでお祭り三昧の幼少期を送ってから、小学六年の秋に東京にやってきた私が、渋谷からバスで通う港区の麻布中高に上がったのが1971年。K Dub Shineこと各務貢太氏はその頃に渋谷に生まれた。私もその頃からずっと渋谷をうろうろしていた。
■渋谷で生まれ育ち、10代つまり80年代にストリート界隈をうろついた末、85年に渡米した各務氏はオールドスクールに出会う。その間の事情はアルバム『理由』の各チューンに描かれている通り。各務博士から私への名誉な依頼は、そんな渋谷について語ること。

【川の街・渋谷、色の街・渋谷】
■話を戻して、70年前後の渋谷には「公園通り」さえなかった。西武資本が「公園通り」を再開発したのは1973年の話で、その前あのあたりはトルコ風呂(と当時はソープランドを呼んだ)とラブホテルがわんさかあった。そう、渋谷は戦前はもともと色街だったのだ。
■渋谷は文字通り谷だった。谷底には宇田川と渋谷川が流れ込んでいる。「春の小川はさらさらゆくよ」の「春の小川」とは、誰も知らないけれど宇田川のこと。スミレやレンゲの花が咲き誇っていた。震災後に商店街として発達する前の渋谷は何と別荘地だったのだ。
■渋谷にはまともな地下街がない。だから地上に人間が溢れている。ちゃんと地下街を造れよと苛立つ向きも多かろう。なぜ造らないか。造れないからだ。川が流れているからだ。なぜ西武A館とB館の間に地下通路がないのか。まさにそこを宇田川が流れているからだ。
■渋谷に駅ビル然と建っている東急デパート本店はどうか。地下エスカレータが変なポイントから始まっているのはなぜか。半蔵門線地下駅はどうか。何で地下一階じゃなく、地下二階が道玄坂と宮益坂を結びつけているのはなぜか。そこを渋谷川が流れているからだ。
■英国風の田園都市構想を描いた渋沢栄一が大正2年に東京横浜電鉄の始発駅を渋谷に置いてから、谷底は商店街・デパート街となり、谷の斜面は色街となり、斜面を登りきったら住宅地という三層構造になった。公演通りが昔トルコ街だったのもそういう理由である。



【地元の渋谷、チバラギの渋谷】
■中高のみならず、私が78年に入った大学も渋谷近辺。やがて一人暮らしを始めたが(実家は神奈川)、借りたアパートも渋谷近辺。85年から渋谷でナンパやテレクラに精を出す。
■その頃は84年の週刊文春記事「疑惑の銃弾」に端を発した「ロス疑惑」で持ちきりで、渋谷の桜ヶ丘にあった三浦和義氏経営の「フルハムロード・ヨシエ」には見物人が日参していた。当時は桜ヶ丘にもラブホが立ち並んでいた。今は専門学校群になっている場所だ。
■ここら辺のラブホテルは、まわりの人通りが少ないので、人目を忍ぶ人妻や芸能人たちが利用した。私もナンパした人妻たちと出入りしていた。ラブホと言えば同じ頃、スペイン坂を昇り切った所にもラブホがあった。今は映画館「シネマ・ライズ」になっているが。
■80年代末になるまでは、公園通りだけが例外で、渋谷はローカルな場所だった。各務氏が渡米してHipHopを吸収しゆく85年。私が学生企業に本腰を入れてナンパ稼業に乗り出す85年。この頃から渋谷にローカルなパーティ・カルチャーが花開く。チームの誕生だ。
■最初は地元に詳しい慶応や麻布の不良っぽいお坊ちゃまが、聖心や東洋英和や女子学院の背伸びしたいお嬢ちゃまと戯れていた。やがて明大中野がのさばり出し、ほどなく郊外の連中がぞろぞろ群れ集うようになる。チバラギ系の改造四駆が街を走り回っていた頃だ。

【愚連隊の渋谷、女子高生の渋谷】
■抗争が激しくなって警察の摘発があり、男どもがかつてほど派手に活動しなくなると、入れ替わりに女の子が目立ち始める。各務博士が渋谷に舞い戻る93年にはブルセラブームが大爆発。この辺に出入りしていた私は「ブルセラ助教授」としてマスコミデビューする。
■ブルセラ、デークラ(デートクラブ)、援交、ポケベル、パラギャル、ルーズソックス、あれやこれや。この頃の私は女子高生と付き合っていて、そういう彼女を弁護するというのが動機で、「何がいけねえんだよ」と開き直る女子高生たちを、むしろ弁護していた。
■会社界隈じゃ売春接待当たり前。学生企業でも無縁でいられない。誰かを接待すりゃ、女、用意できますよ。援交オヤジには外務官僚や教員もわんさか。女子高生に平気で名刺を渡すのだ。どの口があって婦女子の性道徳の乱れだ、この野郎! 私はそう思っていた。
■センター街から井の頭通り周辺を歩く女子の年齢が三歳若くなった。この界隈に詳しい連中が90年代半ば、そう囁き合っていた。カワイイ子もいた(過去形)。東北にいた友人は、仙台で三十分に一人しかすれ違えない美形と三十秒に一人すれ違えると興奮していた。
■各務博士が不在だった85年から93年までに、渋谷はローカルな場所からユニバーサルな場所に変貌した。それでも大人の通念と違い、私は渋谷を「浮ついた場所」だとは思わなかった。だからETV特集でドキュメンタリー「渋谷・音楽・世紀末」の製作に関わった。
■折しも渋谷はクラブブーム。ボビオからレゲエを経てテクノが入って来た頃。かつてのディスコみたいなハレ(非日常)のナンパ場所じゃなく、クラブはケ(日常)のマッタリ場所。家や学校でむしろ緊張を強いられる子が、祭りより安息を求めて群れ集う場所──。
■警視庁が風営法違反(深夜営業)でクラブ一斉取締を検討していた頃。その噂を聞いた私は、かつての「愚連隊的チーマー」のイメージでクラブを見るな、と番組を作った。良い子の集まるクラブ。スチャダラパーの全盛期だった。むろん本場のHipHopとは大違い。
■帰国してインチキHipHopに苛立った各務氏がキングギドラのアルバム『空からの力で』でレコードデビューした頃だ。たぶん早すぎた。周囲を見通す目をを持つこと。状況や自意識に流されずにタフであること。そうしたことの持つ意味を多くは分かっていなかった。

【渋谷の時代が終わり、各務博士の時代が始まる】
■全国区的な女子高生の街だった渋谷。女子高生援交が全盛期だった渋谷。渋谷系とコムロ系が全盛期の渋谷。スチャダラ的なものが覆い尽くしていた渋谷。それが変わり始めるのが96年。最初の動きは女子高生援交が廃れるという形で現れた。驚くべき速度だった。
■彼女らは街でガンガン遊ぶ代わりに「お部屋族」になった。お友達の部屋で終夜マッタリ過ごす。相前後して、フリーターブームとも並行するが、ティーンは地元の仲間と地元の街に集うようになる。首都圏で言うなら、立川、町田、藤沢、大宮、柏などなど。
■匿名の街・渋谷に集う必要がなくなってカネがいらなくなり、脱援交化した。それでも援交を続けるのは自意識系(AC系)だけ。援交はイタイ自意識の象徴と化した。折しも『エヴァンゲリオン』大ブーム。私は碇シンジです。そういうカミングアウトが流行った。
■各務氏が第二期キングギドラを始動させたのがこの時期。97年にアルバム『現在時刻』でシーンを震撼させる。多くの者たちが自意識化し、音楽も自意識ツールと貸した時代。逆に、少なくない者が時代の自意識化に苛立ち始め、タフネスの必要を理解し始める時代。
■この頃「渋谷の時代」が終わった。大正モダニズムの時代から東京の盛り場は、震災前の浅草、震災後の銀座、学園紛争の新宿、竹下通りの原宿、と焦点を移動させ、80年代末からは渋谷が中心となった。そして終わった。以降日本全国から特権的な盛り場が消えた。
■理由は既に述べた通り。最後の華・渋谷は、盛り場というより癒し場だった。祝祭の場というよりは居場所。そうなったと思ったら、そういう場所が各地に拡った。結局は、家族が緩くなり、地域が揺くなり、祝祭でガス抜きする必要が消えた。だから渋谷が消えた。
■打破するべき壁。敵対するべき親や教師。そういうのが消えた。暴力親や暴力教師は今はメンヘラー。やり過ごしゃいいだけ。かくして敵が消えて自意識だけが残った(ように見える)。いや、そりゃ嘘だぞ。冗談じゃねえ。92年、第三期キングギドラが始動した。

【各務博士一人が輝く、不幸な時代】
■時代はややこしくなってきた。拉致だ、アフガン攻撃だ、イラク攻撃だ、自衛隊派遣だ、人質事件だ、と誰もが「国益」を語るようになった。で、お前の国益って何だ? よく聞いてみると意味が分からない。政府益や官僚益のケツを舐めるだけの輩が語る国益?
■アメリカのケツを舐める日本の政府。のケツを舐める日本のマスコミ。のケツを舐める日本の国民。こういう構造に気付かぬ輩の語る国益? が聞いて呆れるほかはない。まさしく天下太平の世の中で平和ボケしたヘタレども。の思考停止的な自意識の相関物。
■日本の右のルーツとは、本来「民権&アジア主義&反政府」。「愛国ゆえの謀叛の志」こそ右の本義。ところが自称右どもが「政府の言うことを聞くのが愛国だ」とホザく。奸臣や売国政治家のケツを舐める振舞いが愛国だと。これまた自意識の相関物。
■他方で、身辺に存在する「打破するべき壁」が消え、残った問題は自意識だけなのだと。そんなはずがあるか。自分に降りかからなければ「問題ない」か。問題が見えなければ「問題ない」か。ありえない。そういう虚偽意識こそ、まさに自意識の相関物。
■自称「自意識系」の語る自意識は、自意識の全体像からほど遠い。自称「社会系」の語る社会は、社会の全体像からほど遠い。どれも巨大な自意識の海に浮かぶ島。だからこそ、各務博士が自分語りを始める。「俺はこういう男だ。お前はいったいどういう奴だ」。
■言葉の意味は誰が語るかで異なる。米国ケツ舐め野郎が語る愛国? 厚生年金ネコバハ首相が語る年金改革? フリーライダー(タダ乗り野郎)が語るコントリビューション(貢献)? 「いい加減にしろ。お前らいったい何者なんだ。かくいう俺はこういう男だ」。
■何もかもがややこしくなっていくにつれ、日本人がどんどん思考停止に陥っていく。一方で、見えやすい問題が消えるにつれ、賢明に見えた連中が退却していく。他方で、数少ない見えやすい問題に噴き上がる馬鹿者どもだけが増えていく。
■気が付くと、渋谷に生まれ育ったK Dub Shineこと各務貢太氏だけが、ザ・ラスト・マンとして残っている。各務博士だけが突出した輝きを放つ。友人としての私は嬉しく頼もしい。が、各務博士だけが渋谷から世界に光を放つこの時代は、明らかに不幸な時代だ。