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シネマヴェーラの足立正生特集を記念して10年以上前の原稿をアップします

皆さんはシネマヴェーラの足立正生特集で『銀河系』をご覧になったのでしょうか。6月20日、6月23日、6月25日と上映されて、もう観ることはできません。特集自体は7月9日まで続いていますが…。ご覧になった方の参考のために、2000年2月に執筆した『映画芸術』の原稿をアップロードします。



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映画の中に自らの人生を組み込んでしまった足立正生の恐ろしさ
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■私が最初に見た足立正生の映画は『銀河系』で、中1のときである。京都から東京に出てきて進学した中高一貫校は、激烈な紛争校で、アングラ文化の巣窟だった。私は、先輩から教えられて、新宿文化地下「アンダーグラウンドの蠍坐」に、足立映画を見に行った。
■そのあと、池袋にある文芸地下劇場でしばしば特集される若松プロの映画を、片っ端から見まくった。特に印象に残ったのが、足立正生脚本『ゆけゆけ二度目の処女』で、学校の屋上で過ごすことが多かった私には、この「屋上映画」は我がことのように感じられた。
■結局、足立映画を全部見たのだが、全作品を通じて足立のモチーフが、①「ここではないどこか」がありえないという不全感に満ちた世界を、②性と暴力で切り裂こうとするが、③結局は「ここ」に戻ってしまう、という循環形式にあることが分かり、私はハマった。
■たとえば『銀河系』では「ここではないどこか」を「白いドレスの女」が象徴し、「結局はどこへも行けないこと」を「ビッコの影」が象徴する。私は「どこかに旅立つ」ためにこの影を殺そうとするが、そのたびに「黒い山伏」が出現して「ここ」に引き戻される。
■同じく『ゆけゆけ』に描かれた、周囲に開かれていて街中を見渡すことができる屋上は、しかし出入口の鍵を閉めれば完全な密室となる。この「開かれた密室」こそ「どこへも行けそうで、どこへも行けない」現実のメタファーなのだ、と69年に松田政男が論じている。
■その松田政男も制作に加わった『略称・連続射殺魔』は、「どこかに出かけよう」と思って上京した青森県の男が、結局「どこへも出かけられず」に銃弾を発射するが、その結果投獄されて文字通り「どこへも行けなくなる」という現実の逆説を、モチーフとしていた。
■こうして「ここではないどこか」が結局「ここ」に回帰するという循環図式を否定的に描くことを基本モチーフとしつつ、しかし足立映画は「ここ」から「ここではないどこか」に通じそうに見える「規定不能な場所」を、暗闇に光る鬼火のように、肯定的に描き出す。
■『銀河系』で言えば、主人公が惹かれる、「黒い山伏」が次々召還する「片輪的なオブジェ」であり、『ゆけゆけ』なら、主人公が惹かれる、ヒッピーたちに輪姦される少女である。規定不能な「弱い場所」に惹かれるのは、主人公であり、足立であり、この私だ。
■この反転を、拙著『世紀末の作法』で私はこう記した。『連続射殺魔』の永山則夫が、「どこへも行けそう」なのに「どこへも行けない」“解放的密室”に苛立ったとするなら、私は「どこへも行けない」のに「どこへも行けそう」な“密室的解放”に癒されたのだと。
■足立映画の魅力は、一口でいうなら、肯定性が否定性に反転し、否定性が肯定性に反転するという規定不能性にある。規定不能な「弱い場所」を、イメージの奔流と共に描き出す足立映画それ自体が、まさに規定不能なものであり、その点で、足立映画は超越論的だ。
■足立監督による商業映画第二弾『避妊革命』は、第一弾『堕胎』と並ぶ「マッドサイエンティストもの」だが、この映画でも今述べたモチーフは厳密に反復される。「ここ」は不真実に満ちたダルな市民的日常。「ここではないどこか」は科学的真実に満ちた世界。
■同時代の西独ポルノ『㊙レポート』シリーズもそうだが、当時は性の領域にこそ、汚れた「日常の不真実」から輝かしい「非日常の真実」へと通じる「恩寵の扉」が隱されていると考えられ、当時の性的描写は「学術的探求=真実への解放」なる言い訳を与えられた。
■故に「性に真実と不真実が交差する」という図式は凡庸だ。だが足立の真骨頂は、そこに、前述した足立的な循環図式を重ねる点だ。主人公・丸木戸定男は不真実がもたらす悪弊に憤り、真実の人工胎盤(堕胎)、真実の避妊具マルキード(避妊革命)を、啓蒙する。
■丸木戸定男は果たして、不真実な「ここ」を脱し、真実に満ちた「ここではないどこか」に到達したか? 『堕胎』では、啓蒙活動が、獄中生活という否定性(笑)もたらす。『避妊革命』では、啓蒙行脚が、人妻との駆け落ちという肯定性(笑)を与えてくれる。
■「(笑)」と記したのは、それぞれの帰結が「喜劇的な悲劇」「悲劇的な喜劇」として描かれ、笑わずには悲しめず、悲しまずには笑えないからである。実際、今回の上映会でも笑いの渦が起こった。さて、丸木戸定男を笑うことで、私たちは「誰を」笑ったのか。
■不真実な「ここ」から、真実な「ここではないどこか」へと、性を通じて突き抜けようとするマッド科学者・丸木戸定男は、むろん「革命家」のメタファーだ。五年後にパレスチナ解放戦線に身を投じる「未来の足立正生」のメタファーなのだ。これは何を示すのか。
■「革命家を笑う」というモチーフは、足立監督『性遊戯』や、この作品の影響下に脚本が描かれた若松監督『現代性犯罪絶叫篇・理由なき暴行』にも反復された。足立は60年代に既に、革命家が、革命家(笑)でしかありえない「日本的現実」を明晰に認識していた。
■足立は、革命家が革命家(笑)でしかあり得ない、すなわち「ここではないどこか」が「ここ」でしかあり得ない、という「悪い場所=ここ」を嫌い、パレスチナなる「ここではないどこか」に出かけた。だが「そこ」は果たして「良い場所=どこか」たり得たのか?
■この問いは結局、丸木戸「避妊革命」は果たして革命たり得たのかという問いに対する、『避妊革命』自体での、諧謔的笑いに満ちた「肯定と否定の両義的回答」に帰着する。足立の恐ろしさは、映画の説話論的な循環に、自らの人生をも組み込んでしまった点なのだ。
投稿者:miyadai
投稿日時:2010-07-01 - 06:12:35
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7月15日、東浩紀さんとの共著『父として考える』発売開始します!

アマゾンでの予約が始まっております。

父として考える (生活人新書) (新書)
4140883243


以下に僕が書いたあとがきをアップロードします。
書籍のものとは一部異なるところがあります。




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あとがき
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【成育環境の変化に対する敏感さ】
■NHK出版の大場旦氏から東浩紀氏との「父親同士の対談」の企画をいただいたとき、願ってもないことだと感じた。僕には三歳と零歳の二人の娘がいる。父親になって、以前にも増して「社会について言いたいこと」が出てきて、それを吐き出したかったからだ。
■僕は父がビール会社勤務で、当時のビール会社は転勤が多かったので、小学校を6つも通っている。東北大学附属小(仙台市、現在の宮城教育大附属)・鶴瀬西小(入間市)、松尾小(京都市)、山階小(京都市)、安朱小(京都市)、三鷹第六小(三鷹市)だ。
■それぞれ学校環境も生活環境も全く違ったので、自分で言うのも何だが、普通の大人よりも成育環境の差異には遙かに敏感だと思う。例えば教育方針を真に受ける大人が多いとすれば、僕は「教育方針・学校環境・生活環境」ワンセットで考える習慣が出来ている。
■加えて僕は、戦前から現在に至る日本のボップカルチャー史を研究分野の一つにしているのもあって、生活環境として家庭環境や地域環境に加えてメディア環境を数えるから、コンテンツや享受形式の変遷と、今述べたワンセットの変遷との関係にも、敏感である。
■一言でいえば、僕は日本の幼児教育や義務教育における(学校・家庭の)教育方針を抜本的に変えるべきだと思っていて、それが有効であるためには、学校環境や生活環境(家庭環境・地域環境・メディア環境)の全体的な改革が、不可欠であると思っているのだ。
■本文でも話題になる通り、東浩紀氏も僕も、研究分野は多岐に渡る。僕の研究分野の力点は、システム論→権力論→ポップカルチャー史→性愛論→宗教論→少年犯罪論→教育論→国家論→外交論→政治哲学という具合に、シフトしたというより積み重なって行った。
■実際、ここに上げた分野それぞれについて著作があるし、ツイッター上での僕の活動もそれぞれの分野についてなされている(一部はミヤダイ・ドットコムに纏められている。http://www.miyadai.com/)が、こうした活動は幼少期の成育環境抜きで考えられない。
■僕の娘たちは幼いが、僕はこのあきがき執筆時に既に51歳だから、幼保小段階の子供を持つ親たちの平均よりは、10歳~15歳は年上である。本書を読むこうした親たちの多くは、たぶん僕の成育環境を知らない。それどころか恐らく想像することもできない。
■子供から見た場合、成育環境がどれほど激変したのか。このことについて、まともに議論ができるのは、僕よりも上の世代とだけである。僕の同世代とさえ議論することが難しい。今と圧倒的に異なる成育環境を実際に体験していなければ、議論ができないからだ。

【1980年代から始まる法化社会の意味】
■まず身近な所から入ろう。妻と子供たちが毎日曜欠かさず通い、僕もときどき通う教会の御聖堂は少し前まで24時間鍵がかかっていなかった。『レ・ミゼラブル』を思い出していただきたいが、教会は夜でも鍵が掛かっていないからこそアジールであり続けてきた。
■ところが最近は夜に鍵が掛かるようになった。先日、神父様を僕らの家にお招きして食事をした際、神父様がこう仰言った。教会の本分ゆえに警察からの度重なる要求を拒絶してきたが、幾度か見過ごせない事件があり、要求に応じるしかなくなったのだ、と。
■神父様が続けた。欧米の多くの大学に塀がなく、道路にもガードレールがない。それで失われる人命があっても、人は敢えて設置者の責任を問わない。人と社会の関わりの意味が変わってしまうからだ。かつての日本社会もそのようにして回っていたはずだ、と。
■神父様はかつて千葉県の教会に幼稚園を併設した。何かというと設置者責任を問う住民(を背景にした行政)の声に抗って遊具の設置を含め昔ながらの幼稚園の姿を守ろうとした。だが教会は教区の下にある。一教会の意向だけでは抗いきれなかったと述懐された。
■僕は小2の4月から小6の9月まで、つまり小学校時代の大半を京都で過ごした。京都市内で松尾→山階→安朱と3つの小学校に行ったわけだ。京都での小学校時代はまさに昔ながらだった。疎水には暗渠も柵もなく、よく子供が落ちて溺れ死んだ。
■工事現場にも柵がないのが当たり前で、築山に穴を掘って秘密基地を作る子供が多く、時々崩れて子供が死んだ。どの児童公園にも例外なく箱ブランコがあって、底板と地面の間に足を挟んで骨折したり、箱に頭をぶつけて一生傷を作る子供が、絶えなかった。
■でも、暗渠化しろとか、柵を作れとか、遊具を撤去しろという話は、聞いたこともない。そういう災難があったとき、親や先生を含めた大人たちはどう言っていたのかというと、「だから、危ないって言ってたでしょ、何ぼやぼやしてるの」と子供を叱ったのだ。
■これがいつから変わったか。1977年あたりから変わった。この年、近所の家に子供をあずけたら、建設現場の池で溺れ死んだというので、近所の家と自治体と業者を訴えた「隣人訴訟」が起こった。訴訟は世論を分けたが、83年の地裁判決で原告はほぼ敗訴した。
■自治体にも業者にも責任はない。ちょっと子供を頼むというのも監護義務を負う契約ではない。被告側には一般的な注意義務を果たさなかった瑕疵はあるものの、原告側の過失よりもずっと小さい(原告:被告=7:3)とした。世論も原告批判が多数派だった。
■この事件は僕が大学生になった頃のことで覚えているし、僕の本でも幾度か取り上げた。原告家族は、非難や抗議の手紙や電話が殺到し、控訴審での訴えの取り下げに追い込まれたが、被告家族も、同様の理由で控訴審での訴えを取り下げた。これが転機だった。
■この訴訟を境に、我が国は法化社会に舵を切った。それまで社会が解決していた問題に、国家権力の呼出線が使われるようになった。だから危ないって言ってただろうと子供を叱るかわりに、住民が何かというと設置者責任を問うようになった。それから三十年。

【共同体と市場、共同体と国家の、両立可能性】
■1980年代、北イタリアから始まったスローフード運動、カナダから始まり大英帝国圏に拡がったメディアリテラシー運動、全米に拡がったアンチ巨大スーパー運動など、先進各国で同時多発的に、共同体と市場、共同体と国家の、両立可能性を問う運動が展開した。
■同じ1980年代、皮肉にも日本では、何かというと国家権力の呼出線を使う傾向に代表される、共同体を国家に譲り渡す「法化社会」が展開し、あるいは、米国の要求を背景にした大店法規制緩和に代表される、共同体を市場に譲り渡す「市場化社会」が展開した。
■共同体と市場、共同体と国家の、両立可能性を問う運動とは「雨漏り・バケツ」問題の比喩で語れる。村中の家が雨漏りしまくっていれば、バケツの需要が高まり、バケツを提供する市場や国家がほめられる。そのようにほめるのが日本の国民生活選好度調査である。
■歴代内閣毎に実施される幸福度調査も国民選好度調査の亜流に過ぎない。市場や国家がバケツを提供できていることに胸を張って現行政権を正当化するだけ。だがおかしくないか。緊急避難は別にして、本来なら雨漏りしないよう屋根を葺き直すべきではないか。。
■スローフード運動・メディアリテラシー運動・アンチ巨大マーケット運動などの共通項は、市場や国家が提供するバケツに依存して自らの手で屋根を葺き直す本義を忘れてしまうことに対する--市場や国家への共同体の過剰な依存性に対する--気づきと戒めにある。
■「手つかずの自然」が敢えて手をつけないという「不作為の作為」であること(に気づくこと)に象徴されるようち、選択の前提もまた選択されたものに過ぎないという「再帰性」(への気づき)が拡がる後期近代。不作為は、共同体を依存させ、空洞化させる。
■僕は、これを「〈システム〉の全域化による〈生活世界〉の空洞化」と呼ぶ。〈システム〉とは匿名性が支配する計算可能性の領域であり、これが拡がる動きを「近代化」と呼ぶ。当初は〈生活世界〉の「我々」が、便利だからと〈システム〉の利用を拡げる。
■流れに任せれば、やがて〈システム〉が全域化し、〈生活世界〉という表象も「我々」という表象も、〈システム〉の生産物に過ぎないという気づきが社会を覆う。この状態が後期近代で、それに抗して〈生活世界〉保全を企図するのが、先に述べた一連の運動だ。
■だがこの〈生活世界〉は「手つかずの自然」が敢えて手をつけない作為的選択の産物なのと同じく、まさに作為的選択の産物に過ぎぬ。だから生活世界とは記さず〈生活世界〉と記す。つまり一連の運動は、オルタナティブな〈システム〉を選ぶ営みに当たるのだ。
■同じく学問領域でも、ハーバマスの「生活世界の植民地化」、ベックの「予測不能・計測不能・収拾不能なリスクを伴う高度技術に共同体が隅々まで覆われたリスク社会」、ギデンズの「主体の像をシステムが供給する再帰的近代」等の概念が、人口に膾炙した。

【日本社会が負う巨大なハンディキャップ】
■ただし日本に限っては先進国の多くを襲った「共同体と、市場・国家の両立可能性」を問う運動は皆無で、それゆえに学問領域でも今紹介した諸概念の含意が人文・社会系の学者らに十分に理解されなかった。仮に彼らが理解していれば運動を唱導したはずである。
■ここに90年代後半以降の橋本行革や小泉構造改革に見られる決定的勘違いの種が蒔かれた。破綻を見越して財政規模を縮小すべく行革や構造改革を行う。一見良さげだが、市場や国家が提供するバケツに依存してきた人々は、屋根の葺き直し方法をとっくに忘れた。
■日本は他の先進国と違って〈生活世界〉を保全するオルタナティブな〈システム〉を目指す運動はなかった。「共同体の共和」によって成り立つ「社会の分厚さ」を保つ運動はなかった。何かというと参加が奨励されるのに、いつも個人の尻ばかりが叩かれてきた。
■典型的が小泉構造改革だった。小泉構造改革とは、従来の基幹産業例えば自動車産業を、新興国例えば中国のそれと戦えるように、身軽にすることを意味する。それで自動車産業が勝ち残れば企業の収益率は上がるが、それは労働分配率の切り下げを対価とする。
■これでは「経済回って社会回らず」のテイをなす。その証拠に平成不況が深刻化した98年決算期以降、年間自殺者数は2万4千人台から3万2千人前後に跳ね上がったままだ。「経済回って社会回らず」は、個人にとっては「金の切れ目が縁の切れ目」だからである。
■こういうことだ。日本はある時期から――法化社会が目立つようになった1980年前半から――社会に大穴があいた。だがうまく回る経済が社会の大穴を埋め合わせてきた。だからこそ平成不況深刻化で経済が回らなくなると、社会の大穴が露呈するようになった…。
■政治的には失敗が2点ある。第一に、本来必要なのは、どのみち中国のような新興国に追いつかれる産業から、遠い将来に渡って新興国が追いつけないか追いつく動機を持たない産業に、比較優位の分野をシフトする産業構造改革なのに、それができなかったこと。
■第二に、そうしたシフトを経てさえ新興国の発展ゆえに外貨獲得は容易でなくなるのはどの先進国でも同じで、だから「大きな政府」でなく「小さな政府と、大きな社会」でやるしかないのだが、「大きな社会」(相互扶助的に包摂する社会)の樹立に程遠いこと。
■第一点と第二点は結びつく。平成不況深刻化以降、地方はますます中央に依存、経済はますます大企業に依存、景気はますます外需に依存するようになった。外需依存的な中央の大企業にぶら下がるしかないので、既得権益を移動する産業構造改革ができないのだ。
■教育の問題はこうした「共同体の消失」「〈生活世界〉の空洞化」「経済回って社会回らず」をどう克服して、(1)相互扶助的に個人を包摂する、(2)自己決定的な共同体たちの、(3)共和から成り立つ社会を樹立できるのかということに関わる。社会設計の問題なのだ。
■教育の問題は、自分の子供の幸せの問題を遙かに超える。学校教育に限らず、周囲の親たちの教育談義、公園や祭りなどでの親たちの振る舞い、幼児向け通信教材、子育て雑誌や子育て本などが嫌でも目に入るが、「社会のための子育て」という視座が欠けている。

【教育を通じた社会設計、社会設計を通じた教育】
■あとがき冒頭でも述べたように成育環境が過去40年間で全く変わってしまったことが、「社会のための子育て」という観点から見て何を意味し、親や教員は、激変した成育環境について子供に対してどんな構えを持てばいいか。東氏とそれを問題にしたかった。
■40年前、僕が十歳だった頃の成育環境がどんなだったのかを、動物や虫というモチーフで思いつくままに語ろう。松尾大社の近くの小川で弟と手づかみでのザリガニ取りを競い、数時間で、僕が30匹だったのに、弟が40匹以上。負けて悔しかったことを思い出す。
■だがその直後、僕の弟はマムシに噛まれた。家の近くだったので、口で吸い出した後、すぐ母を呼んで歩いて町医者へ。毎年クラスで一人は噛まれていたし、僕らが遊んでいた小川では日常茶飯だった。でも小川に入っちゃいけないという大人は一人もいなかった。
■嵐山では、家が山麓にあったので、押し入れの中にシマヘビがとぐろを巻いていたことがあった。近所にはよくある話で、父が「蛇は山の神様だから縁起がいいぞ」といいながら、棒で手際よく頭を押さえて、手づかみにして、家の外に放り出した。父を尊敬した。
■松尾大社の池で、アオダイショウが、逃げるカエルを猛スピードで追いかけて、食らいつく姿を何度か目撃した。蛇の動作が目にもとまらないほど素早いのに度肝を抜かれた。頭を地上30センチほどに保ちつつ、高速で水平移動する。怪獣映画よりもすごかった。
■山科では、僕が世話になっていたヤクザの子が、虫かごにマムシを入れて教室に持ち込んだことがある。みんなでバッタをとってきて、箸でつまんで虫かごに入れ、丸呑みするのを見物した。女の子たちも遠巻きして見ていた。エキサイティングだった。恐かった。
■だからこそ、ヤクザの子=ガキ大将が、お前らにはできねえだろうという感じで、意気揚々とマムシ入りの虫かごを教室に持ち込んだ。先生を呼びに行く子はいなかった。学級委員だった僕は、「じきにセンコーがくるで、窓の外に虫かごを出さんかい」と促した。
■このヤクザの子たちは僕の言うことをきいた。みそっかすの弟を含めて彼らは転校生の僕と遊んでくれたので、母が彼らをよく晩餐に招いて高価なオモチャで遊ばせた。かわりに担任の覚え目出度い僕は、ことあるごとに彼らをうまく弁護した。そんな関係だった。
■美しい体験もあった。松尾大社の還幸祭ではゲンジボタルが大量に飛び交った。夜灯に照らされた屋台で串焼きや林檎飴の買い食いしながら、ふと見上げると、銀河のど真ん中に放り出されたかのように無数の光が乱舞していた。家の中までホタルが入ってきた。
■学校の帰り道に林で見つけたサナギを持ち帰り、糊で茶箪笥に貼り付けておいた。羽化するまでは何の蝶なのか分からなかった。ある朝目覚めたら、黒光りする大きなカラスアゲハが、優雅に部屋の中を舞っていた。両親を大声で呼んで、皆でしばし見とれた。
■父親の大きな声で未明にめざめると庭木に羽化の最中のセミがいた。緑がかった白色の体を幼虫の殻から半分だけ出した状態で、そこから一時間以上かかって体の全体が出てきた。やがて夜が明けて日がさし、だんだんと焦げ茶に変わっていく。それは油蝉だった。
■山科の疎水北側にある自殺名所だった安祥寺池に、鉄条網でロックアウトされているにもかかわらず侵入し、びんどうという仕掛けを使ってメダカやフナなど無数の魚をとった。暗くなるまで魚とりをし、「自殺した女の幽霊が出よるでー」と脅し合ったものだ。
■僕に若干のタフネスがあるとすれば、こうしたノイズに満ちた成育環境抜きには考えられない。動物や虫だけではない。小学校や地域でも、農家の子、地元商店の子、医者の子、地主の子、名物蕎麦屋の子、ヤクザの子、社宅の子が、混ざり合って遊んでいた。
■アンダーグラウンドを含めて誰とでも知り合いになれる僕の性格は、家庭環境も家族文化も全く異なる雑多な子供たちと一緒に遊んだ成育環境抜きには、あり得ない。そして、僕のそうした性格抜きに、全国規模でのテレクラフィールドワークなどあり得なかった。
■こうした生活環境や学校環境を背景にした人格形成の問題を横において、受験への取り組みを中心とした教育方針ばかり注目したり、「いい学校・いい会社・いい人生」を信じていたりする大人は、問題があるというよりも、僕には単なる馬鹿であるように見える。
■こういう馬鹿な大人たちによって教育がなされた場合、(1)相互扶助的に個人を包摂する、(2)自己決定的な共同体たちの、(3)共和から成り立つ社会は、樹立できるのか。つまりそうした社会を構成する人材を生み出せるのか。残念だが絶望的だという他ないだろう。
■僕は、こうした「(子供たちへの)教育を通じた社会設計」に必要な大人たちの人材を生み出すべく、「社会設計を通じた(大人たちへの)教育」を使って親業教育をなすべきだと考えている。成育環境を立て直さずに、教員や親が頑張っても、多くは徒労である。

【かなり頑張ったが、道半ばというところ】
■本文でも中心的に触れられるが、(1)相互扶助的に個人を包摂する、(2)自己決定的な共同体たちの、(3)共和から成り立つ社会にとって、グループワーク能力の養成が必須なのに、日本は時代遅れの能力別編成に堕した結果、国際学力比較調査で低順位化しつつある。
■こうした時代錯誤もまた、法化社会と同じく、80年代後半から社会を広く覆った。その結果、高偏差値大学には、どんなに成績が良くても企業が絶対に採用しないような、グループワーク能力に欠けた学生が溢れるようになった。彼らは今後どうするのだろう。
■僕が、今の日本は根本的にダメだと思った一つの契機は、新自由主義に対する理解の誤りだった。新自由主義は、剥き出しの個人が市場で競争することを奨励していない。単なる家族親族ユニットの大きさを背景にした、共同体と市場の境界設定の問題に過ぎない。
■アングロサクソンは伝統的に直系家族的で家族親族ユニットが小さい。ゲルマンやとりわけラテンは拡大家族的で家族親族ユニットが大きい。両者を比べると、ラテンが家族親族ユニット内の相互扶助で調達するものを、アングロサクソンは市場で調達している。
■だから、アングロサクソンは市場原理主義であるように見えやすい。だが、単に家族親族ユニットが小さいだけだ。市場のプレイヤーは、剥き出しの個人としてでなく、あくまで家族親族ユニットを背負った存在として現れる。あるいは家族という帰還場所を持つ。
■だからこそ、わざとらしいとも思えるほどの、家族共同体への関わりがある。ところが日本人は、このアングロサクソンの営みを、個人が剥き出しで競争する市場原理主義であるかの如く勘違いした。アングロサクソンでさえそのような文化とはかけ離れている。
■個人の自己決定か、国家による福祉か、という問題設定は、80年代以降は日本以外には存在しない。新自由主義も、スローフード運動やメディアリテラシー運動も、自己決定的な共同体を、競争的市場や、国家による福祉と、どう両立させるかという問題設定だ。
■見掛けがどうあろうと、結局は自己決定的な共同体(の共和によって成り立つ社会)のサイズや紐帯原理が、社会ごとに異なるだけだ。先に「共同体と市場の境界設定の問題に過ぎない」と述べた所以だ。何度も言うが、剥き出しの個人という概念には意味がない。
■だが、先に「生活世界でなく〈生活世界〉」と記したように、これは伝統に従えとか、長いものに巻かれろという話では全くない。汎〈システム〉化した後期近代の社会では、〈生活世界〉も、〈システム〉の構成要素として言挙げされ、選ばれたものに過ぎない。
■従って、共同体や〈生活世界〉に対して、多かれ少なかれ共同体的な事実性に埋め込まれた部分を持つ諸個人が、完全に自由な関わりが論理的に無理であるにせよ、いかにしてそれなりに再帰的(自覚的)に関わるかが、永久に問題として問われ続けるのである。
■僕は、共同体や〈生活世界〉の再帰的構築というこの問題について、東浩紀氏ほど自覚的な存在はいないと思う。「僕と同じように」、子供を持って子供が将来幸せに暮らせる社会を構想するというところから、そうした自覚を先鋭化したのではないかと思う。
■ゼロ年代にオタクを擁護した東氏と、90年代に援交少女を擁護した宮台が、2010年代に「父として」語るということは、かつて自分たちが擁護した社会「のままで」子供が幸せな大人になれるのかという問いに向き合うことだ。僕らはかなり頑張ったが、道半ばだ。
投稿者:miyadai
投稿日時:2010-07-01 - 05:26:48
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不思議な人形芝居について書いた文章です

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劇中劇、あるいは「平常という芝居空間」の部分品として上演される寺山芝居
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■昭和34年生まれの僕は人形劇を見て育った。テレビは人形劇だらけだったし、小学校でも人形劇一座がやって来たり、人形劇を見に遠足したりした。親も人形芝居に連れていってくれた。手遣い人形や指人形で遊ぶのは子供たちの基本だった。
■週日夕方のテレビはNHK人形劇。僕は1959年生れだが、『銀河少年隊』(63~65)『ひょっこりひょうたん島』(64~69)『空中都市008』(69~70)『ねこじゃら市の11人』(70~73)『新八犬伝』(73~75)を欠かさず見た。
■民放でも、ジェリー・アンダーソンとルー・グレイドのコンビによる『海底大戦争スティングレイ』(日本放映64~65)『サンダーバード』(放映66)、『キャプテンスカーレット』(日本放映68)が流れ、テレビの前に釘付けだった。
■民放では、影絵劇から出発した藤城清治の木馬座による『木馬座アワー』(66~70)が流れ、かぶり物のケロヨンが大人気。親にねだって、木馬座の公演に何度か連れて行って貰った。
■影絵劇時代の木馬座は、1952年のNHK試験放送開始から局専属となって名を馳せ、56年には影絵劇『銀河鉄道の夜』が多くの賞を受賞した。これを教育テレビで見た私は、原作を買って貰って賢治ファンになった。
■影絵劇『銀河鉄道の夜』の映像が記憶に残っていたお陰で、長じてブジェチスラフ・ポヤルの人形アニメ『飲み過ぎた一杯』(53)を見た際、あるシーンを見て「木馬座の銀河鉄道みたいだ」と小躍りし、以降チェコ人形アニメのファンになった。
■恋人に逢いに行く途中、立ち寄ったバーでの婚礼の宴に高揚して飲み過ぎた青年が、時間を取り戻すべくバイクを飛ばす。夜闇の中を蒸気機関車が牽引する列車と競争。踏切で列車の直前を横切ると、列車は夜の鉄橋をアーチを描いて渡る。このシーン。
■京都の自宅から山の斜面を昇ると、新幹線の高架橋が見えた。日没後の斜面に座り、夕闇を滑走する車窓の列を見るのが好きだった。木馬座の影絵みたいなことが出来ないかと、ボール紙を繰り抜いて幻灯機の前にかざした。
■当時の京都には戦前の名残があった。学校帰りには山科駅の裏手に出没する紙芝居屋に寄り道した。話は覚えていないが、ウエハーに毒々しい色のジャムが塗られたジャム煎餅を十円で買って、最前列で鑑賞した。
■祇園祭のような大きな祭りがあると、山科盆地から山を超えて京都盆地に連れて行ってもらった。夜の円山公園では、「蛇から生まれた蛇娘、親の因果が子に報い…」の口上も懐かしい出し物を、篝火に囲まれた見せ物小屋で見た。
■こうした成育環境の総体が、子供たちに人形劇リテラシーを与えた。つまり「物語ではない凄いもの」を「人間ではないモノ」が媒介する、という不思議な体験を可能にしていた。子供たちは、人形が乱舞する世界を、話が分からなくても、凄いと感じた。
■江戸糸操人形遣いの結城一糸氏は、人形の凄さを「闇の力」と呼ぶ。僕なりに翻訳すると、〈社会〉に由来するのが「横の力」(例えば物語の力)で、〈世界〉に由来するのが「縦の力」(例えば人形の力)とだ。なぜ人形に力が降りるのか。
■バタイユの影響を受けたリーチは、奇形などのシニフィアンの隙間を、未規定性の噴出口と見做し、「境界の状態」と呼んだ。人形は「境界の状態」を呼び込む。だから社会関係とは独立の「縦の力」を人形が帯びる。

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■2006年7月31日、新宿のプーク人形劇場で平常の芝居『毛皮のマリー』を見た。江戸糸操人形「結城座」の芝居みたいに、ある時は黒子の人形遣いとして、ある時は人形と同格の役者として、それも男役として、女役として、彼は自由自在に立ち現れる。
■人形も、棒遣い人形、手遣い人形、指人形など色々。マネキンもこれら動く人形と同格に「見立て」られる。「見立て」のマジックは物にも及ぶ。コーヒーカップがバスタブに、古新聞がドレスになる。
■汗を噴出させながらこれら「見立て」のマジックをたった一人で立ち上げるべく孤軍奮闘する平常の存在自体が、一分のすきもなく鍛え上げられた肉体もあって、「一体この者は何者なのか」という未規定な「境界の状態」に直面させられる。
■たくさんの人形劇を見てきた僕にとっても、人形遣いが人形と同格の役者にもなるというレベルを超えて、異様な変幻自在ぶりを示す人形遣いの存在自身が、一つの見世物になるという体験は、初めてだった。
■確かに原初的祝祭の隠喩がある。男女が入れ替わり、主従が入れ替わり、物と人が入れ替わり、人と神が入れ替わる。かくして、男が男、女が女、主人が主人、従者が従者、物が物、人が人、神が神であるような「日常」が、ありそうもない奇蹟として現前する。
■だがそれに留まらず、何もかもがフラットになった僕たちのポストモダンな「日常」を、いかようにもありうる秩序の高々一つとして現前させようとして、孤軍奮闘している平常という存在そのものが、何だか、ありそうもない奇蹟として現前してしまうのだ。
■僕は、うまく規定できないものを見たなというフワッとした印象と共に帰路についた。僕にとっての日常と、平常にとっての日常は、どれほど違っているだろうと思いを巡らせた。すると「平常」という奇妙な表記自体が一つのアイロニーだと思えてきた。
■そうした印象のおかげで、あの寺山修司『毛皮のマリー』の世界は、一つの「劇中劇」みたいなものとして、疎隔されて立ち現れたのだった。「平常という芝居空間」の中で、芝居空間の部分品として上演される寺山芝居…。個人化の時代に相応しい隠喩だとも感じる。
■そのことが持つ意味を詳述する紙幅はない。ところで、僕と20歳以上も離れた1981年生まれの彼が、人形リテラシーを獲得する機会が乏しい世代に属するのに、どうしてかくも異形の存在たりうるのかという謎について、僕はいまだに分からないままだ。いつか本人に尋ねてみたい。
投稿者:miyadai
投稿日時:2010-06-19 - 11:02:55
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芸術家の内海信彦先生と、弟子の中島「イチモツ」春矢を前に、ゲージツ論をぶちました。

例によって宮台発言の一部のみ抜粋です。
内海さんとのスリリングなやりとりや、中島とのワイセツなやりとりを知りたい方は、次号の『情況』を買ってください。

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「シャカイとゲージツ」
宮台真司(社会学者)×内海信彦(画家・美学校講師)  
司会:中島晴矢(美学校生)  
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宮台
よろしくお願いします。なんだよお前さっきのパフォーマンス続けてりゃいいんだよ。乱闘の中で対談するみたいな、誰も聞いてない感じにするんだよ、お前さぁ。途中でやめるなよ。まだ仕込んでるんだろ、どっかに(会場笑)。「これで終わりかオラァッ!」って怒鳴り込むようなヤツをさ。

宮台
でも、中島は「ここで終わり」とパフォーマンスを区切った。区切ったってことに、芸術の持ってる今日的な問題が表れてるよな。また非日常の後に何ごともなかったのごとく日常が戻り、結局は、中島が持ち込んだ非日常までをも織り込んだものが結局は日常なんだよなって感じ? 日常を爆破するどころか、安全な日常を再強化する仕組みとしての中島。…ちょっと60年代的な言説を展開してしまいました(笑)。

宮台
本当はフリージャズなのに、一般ピープルが聞きやすいようにアンビエント的な味付けを施す。実に素晴らしかったです。

宮台
あぁ、僕の得意分野です(会場笑)

宮台
中島のイチモツ、もう見慣れちゃったぜ。嫌な日常だな。(会場笑)


アートの原体験
宮台
 僕はもともと統合失調っぽかったんですね。小学校の時に普通に歩いていると建物がガーっと崩れかかってきたり、家の中でも天井が落ちかかってきたりといった幻影に襲われたり。何かを眺めていると、いろんなものが燃えてるというか渦巻きはじめて、怒濤のように僕を襲ってくるとか。それに圧倒されてうずくまって泣き叫んだりする。
 それで、僕が中学校に入った頃だと思うけど、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵を見たときに、「ああ、僕が体験してきた世界と同じものが、其処に絵描かれてあるな」と思って。「俺はたしかに世界をこう感じてる、間違いない」と見入ってしまいました。それが多分、僕の最初のアート体験だと思うんですね。
 もう一つあります。もともと僕は京都のとてもお祭り的な空間に育ったんですけど、小6の秋に東京に引っ越してきて、71年に中学に入るんです。ところが入ったのが麻布だったので、入学前から中学高校紛争が続いてて、最初は数ヶ月間授業がなかったんです。文化祭で山下洋輔トリオなどが来ていたので、それを通じてアルバート・アイラーなんかのフリージャズや、若松孝二と足立正生のピンク映画の世界にいったりするんです。それが中2のころ。
 で、そのときも、僕の最初の受け取り方はゴッホ体験と同じです。「僕も確かに〈世界〉をそう体験していたはずだ」みたいに、幼少期に引き戻される感じでした。当時、僕は、非常階段とか、屋上とかで、アマチュア無線をやってたり、本を読んでたりしていたので、そういう「変な場所」で聞くのにふさわしい音楽ってやっぱりフリージャズだし、あるいは若松孝二や足立正生の映画に出てくるのもやっぱり非常階段とか屋上の風景だったりしたわけです。
 その辺が僕のアートの原体験です。強いて言えば、これは後でも話しますけど、60年代~70年代前半までっていうのは、「日常が非日常の中に浮かんでる」感じだったんですよ。なので、「日常を爆砕すれば非日常の濃々たる空間に戻れる」と感じられた。今は逆なんです。さっきの中島のパフォーマンスもそうだけど、「非日常が日常に登録されている」感じなんです。日常が許容する制度的な1コマとして非日常がある。
 だからこそ、みなさんの感受性においても、日常がダーッと広がってて、その中に「登録された非日常」として中島のチンコがあったりするに違いない。内海さんを含めて、僕らのアート体験って、みんなが知っているのとは大分違う感じ。僕はその感じを知ってるから「〈社会〉と〈世界〉」と言っているんだよね。〈社会〉というのは日常だよ。簡単に言えばね。〈世界〉というのは日常の向こう側にある、日常がぽっかりと浮かんでいる、大きな海みたいなもの。〈社会〉を生きる僕たちに〈世界〉を告げ知らせるもの。それが僕のアートの原型的なイメージなの。

宮台
あの本屋はそれで潰れちゃったんですよね(笑)

宮台
ああ、いましたねえ。氷上信廣先生とならぶ両巨頭ですね。

宮台
そう、山内一郎校長代行ですよ。長髪の奴を見つけると、髪の毛引きずって校長室でバリカンで刈るんですよ(笑)。あと、停学処分や退学処分の出しまくり。みんなが殺してやろうと思っていました。

宮台
おっしゃる通りですね。窓という窓はすべて破れて、ロッカーというロッカーは全て壊れていましたからね。壁とかにも穴が空いていた。僕は隣の教室に通じる壁穴を作ろうと思って、授業中もバールでコツコツ掘っていました。(会場笑)

宮台
でももうすでにボロボロなんでね、今更っていう感じだよね(笑)

宮台
麻布の日常化っていうのも問題なんだよな。中島たちも聴いてくれてたと思うんだけど、この前、麻布で、生徒と親の両方を五百人ほど集めて、「説教演説」をしたんですよ。「お前ら普通にしてんじゃねえよ、コラッ!」という。

宮台
それは僕がちょうど女子高生・女子中学生フィールドワークをしている頃だね。僕がよくメディアに出てたでしょ。そうしたら空手部員のお母さんたちが「空手部OBとして、うちの子たちに説教してくれ、勉強してくれないんで、東大に行けるように、一日プラス一時間勉強するように言ってくれ」と。
 それで、生徒たちを集めて言ったんです。「お前らさあ、プラス一時間勉強しろよ、いったい誰にカネ出してもらってると思ってんだよ」って。そしたらですね、「先輩、オレ見てくださいよ、イケメンでしょ、オレめっちゃモテるんです。こいつはツバメやってるし、あいつなんか毎日違う女のところ泊ってる。で、オレら頭いいんで、遊んでても早慶楽勝で、プラス一時間で間違いなく東大入れます。で、それがなにか。え? プラス一時間勉強して東大に入るメリット? そんなのあるの? オレら社会的経験豊富なんで、プラス一時間勉強して東大入るヤツらに、全ての面で負けませんけど、どこか負けそうに見えますか?」 意外な反撃でしたね。「いや、その…負けそうには見えないな、確かに」。親に対しては「う、うまくいきませんでした」。(会場笑)

宮台
訪米反対闘争ですよね。

宮台
東宝資本で2000万円以内でアバンギャルドな映画を撮らせるというものですね。

アバンギャルド/アンダーグラウンド/ハプニング
宮台
たとえば音楽。街の風景とか、時々に起きるイベント。そういった内海さんもおっしゃったようなバックグラウンドの中に、音楽もあったんですよ。音楽は風景の中にあった。
 もっと踏み込んで言うと、僕は九三にブルセラ&援交女子高生を新聞紙上で紹介したとき、「ウソ社会」という言葉を使ったけど、「ウソ社会」というような感受性は、まさに大学紛争や中学・高校紛争の、中核だよね。たしかにそこに日常がある。それはでも、全部ウソ。インチキ。インチキである証拠に、必死で規制したり、排除したりして、はじめて成り立つ日常でしょ?
 そこには、内発性に支えられた秩序があるかわりに、機動隊のゲバルトが支える秩序があったり、インチキ校長山内一郎が支える秩序があるだけ。そんなものは爆砕すれば、日常がウソ日常であること、秩序がウソ秩序であることは、すぐばれる。そういうイメージの中に、社会というものを持っていたわけ。社会とは、虚構であり、幻であり、しょぼいものであり、要はウソ社会に過ぎないので、「ウソ社会を爆砕するもの」としてアートがあったわけです。
 「ウソ社会を爆砕するもの」としてアートという意味で、そこには今日でいうポップだって含まれていたよ。アートの中に、ロックもあったし、ジャズもあったし、ノイズミュージックも、全部あった。それで言えば、歌謡曲だって、例えば「網走番外地」だって、フリージャズと同じ意味でアートだった。内容的に聴けば今の歌謡曲と変わらないと感じるだろうけれども、コンテクスト的に聴けば「網走番外地」も風景の中にあったんです。
 だから、『現代性犯罪絶叫篇 理由無き暴行』(若松孝二)にも、風景として歌謡曲の「網走番外地」が出てくるわけ。同じように、風景として、フリージャズも出てくるし、エロもセックスも出てくる。そう。場合によってはセックスだって「ウソ社会を爆砕するもの」としてのアートだったんです。
 風景というのは、実は、みなさんが今みているような、こういう風景じゃないんですよ。至るところに破れ目があって、非日常が見えている。だから、非日常の大きな荒野のなかに、所々日常のふりをした書き割りがあるみたいな。


宮台
だから、君みたいなパフォーマンスの意味が、今と全く違うってことだよ。君が何をやったって、日常の堅い枠組が壊れないじゃないどころか、カスリもしないわけで、だからみんながイチモツを安心して観てるわけ。昔だったらイチモツは危険な徴候だったんだよ。秩序を爆砕するかもしれないような(笑)。
 今、ソレを敢えてやろうとすれば、事故を起こさなきゃ駄目なんだよ。だから実際、アバンギャルド演劇なんかが成功するのは、たまたま事故が起こったときだったりする。たとえば紅(あか)テント。僕が淀橋浄水場跡地で『犬狼都市』を見たとき、火炎放射器をつんだ火を噴く電車が脱線しちゃって、大騒ぎ(笑)。それが本当のアクシデントだよ。本当のハプニングだよ。
 宮沢章夫さんの芝居なんだけれど、青山円形劇場で、劇の中で割れるはずの花瓶が、開演前にすごい百貫デブみたいな女が劇の前に舞台を横切ったら、ぶつかってバーン!って割れたんです(笑)。僕はてっきりこれはヤラセだと思ったんですよ。皆つまらなそうにしてるから、開演前にいっちょう事故を起こしてやろうじゃないかという。ご丁寧に、開演が小一時間も遅れた。
 これから宮沢彰夫さんの「遊園地再生事業団」を観ようとしている。ここでひとつアクシデントを起こしてやろうかと。劇の中で最も重要なシンボルを演じる花瓶を壊してしまうと。すると、もう初日じゃないから「どうするんだろう」と思うじゃない。「これ、わざとですよね」って楽屋に行ったら、「いや違うんです、これマジで事故だったんです」。いや、そうか。もしかすると宮沢さんは、すべて謀った上で「事故だったんです」と強弁したのかも(笑)。
 結局、事故がなければ、もはや日常って破れないんだよ。だから9.11のときに、あれを超えるアートがあるのかどうかっていうことが問題になっちゃったわけ。そんなことは以前だったら問題にならない。それを越えるアートなんてあるに決まっていたからね。
 でも今はないんだよ。「アクシデントを越えるアートがない」という感受性が、単なる主張じゃなくて、多くの人達にとっての共通認識になってる。事故や犯罪以外のものでは「ウソ社会の爆砕」はない。だったら、お前(中島)もさあ、もっと爆竹を撒けよ。ちょっと火傷しちゃうぐらいじゃなく、体に火ついちゃえばいいんだよ。


宮台
つまり、たぶん今若い人達が持っている気分と、僕らが当時持っていた気分って、大分違うと思うんです。僕らは――本当何様って感じだけれど――「こんな社会なんて、吹けば飛ぶようなもんだぜ、俺たちは社会の外側を知ってるんだぜ」という感じだった。「社会の内側しか知らねえ奴なんて、ヘタレでしょぼいやつだし、そんなヤツは軽蔑するしかないぜ」っていう感じがあったと思うんですよ。
 今、たぶんそういった感じではなくて、社会はどこまでも広がっていて、何をしても壊れない日常としてある。アートをやろうが、バンドやろうが、所詮は日常の中に取り込まれていくしかないみたいな(笑)。いわば「ソラニン」(浅野いにお)現象だよね。浅野いにおの原作漫画はこのあたりを意識的に描いているんだけどさ。でも映画「ソラニン」にはもはやその自覚がない。
 その辺の感じを見ていて、僕らなんかは「つらい」というか、「今、自分が中高生や大学生だったら、とてもやってけないな」という感じを抱きます。


日常に登録されている非日常
宮台
そんなことはなくてさ。いくつか例があるけど、東南アジアの映画とか、中南米の映画を観ると、やっぱり今の日本映画とは違うじゃない? 日本映画というのは、基本的にはさっき言ったように「出口がない」訳です。最終的には「最後は日常が勝つ」で終了。
 でも、そういう途上国や、エマージェントエコノミーズ(新興国)といわれる地域の映画は、基本的に「昔の日本映画」と同じ枠組みです。「所詮、日常なんてこの程度のもんだ、こんなもん、いつか爆破されまうんだ、だったら、オレが爆破しちまうんだ」みたいな主人公が描かれる。
 これは、どちらの感じ方が真実で、どちらが不真実か、ということじゃなくて、「僕らがどういう感受性を働かせられるのかが、まさに社会的文脈に拘束されている」ということを指し示しているわけ。その意味では、大きく見れば、六〇年や七〇年代のアバンギャルド・アートと呼ばれるものでさえ、その程度の凡庸なものだという面が、一方には必ずあるわけですよ。
 それとはまた別の問題で、とくにアメリカでは「ポロック以降」というふうに言うけれども、アートの不可能性についての気づきがあるでしょ? 僕らが信じてきた近代のアート概念は、初期ロマン派的な、つまり19世紀的なものなのね。現実から離陸して、カオスを経験して、再び現実に戻る。そのとき、もはや以前の着地面には着陸できないようにさせるのが、アート。だから、もとの着地面に着陸させるのを目的とするリラクデーションやエンタテイメントとは、そこが違うというね。
 でも、ポロックが気付くわけ。「そろそろ飽きてきたから、カオスを経験した後、もとの着地面にはもう着陸したくないな」みたいな欲求を持ったヤツがアートを経験して満足する、という現実があるだけじゃないかと。つまり、アートは部屋の模様替えや引っ越しと同程度のものでしかなく、リラクゼーションやエンタテイメントと本質的には違わない現実の補完物じゃないかと。

宮台
そう。やっぱりそういうふうに、アートも〈システム〉の中に登録されていく。〈システム〉とは、期待可能性の地平の内側で回るメカニズムのことだけれど、ポロックは〈システム〉に登録されてしまったものを「記号」と呼んだ。っていうか、当時はみんながそれを「記号」って呼んでたわけ。「作品が、表現ではなく、記号になっている。それは、モダンアートだけでなく、アバンギャルドなコンテンポラリーアートも同じだ」とね。
 「記号」というのは、「取り替え可能性」ということでもあるし、〈システム〉に埋め込まれている」ということでもあるわけ。そのことが1940年代には一部の人たちによって広く意識されていたんです。そういう意味で、アートの不可能性というのは、「今」の話じゃない。考えてみれば、「近代社会が自らを完成させていく」というのは、そのことを意味してるに決まってる。
 確認すると、昔は、日常と非日常の交代があった。でも、近代社会になれば、時間的交代は非効率だから、空間的分割を利用するようになる。つまり、日常的空間の中あるいは横に、非日常的な場所――芝居街や色街など眩暈が許容される空間――を設ける。分割された非日常的空間に入り込めば「ウソ社会が爆砕された」ような気分を味わえる。苦しそうなヤツがいたら「お前、色街でぱーって遊んでこいよ」みたいな話になる。
 もう徳川の時代からこれを意識的に設計してるわけ。天保の改革のとき、んろんなに芝居街と色街が点在してるのはマズイということで、色街ならば吉原に集約して、人形劇ならば人形町に集約する。そういうふうに空間を設計して、そこに非日常的な空間に存在すべきアイテムが、日常化的に登録されるわけ。つまり、社会が複雑になれば、「アートが所詮は登録されたものになる」のは回避できないし、回避しようとすることは実は馬鹿げてると僕は思う。


宮台
うん、回避できない。だったら「相手にどういう体験を与えるか」ということだけをコントロールすればいいんじゃないのかな。どのみち「ウソ社会を爆砕する」なんて、観念の中でしかできないわけ。だから、実際に社会を爆砕できるかどうかじゃなく、観念の自明性をどう崩すかをめぐって、非自明性を自明性として登録しようとする〈システム〉と、永久革命的に闘争するしかないの。
 そのことについて、ひとつだけ最後に言うと、これからの日本社会は間違いなく悪くなるじゃん。先進社会一般がどんどん悪くなると思う。すると、今みたいに「日常の中に非日常が登録されている」という感じが崩れて、再び「日常というのは所詮この程度のもの」「日常の掘っ立て小屋の外には非日常のカオスが渦巻いているぜ」みたいな感じに、やっぱりどの道なっていくよ。


宮台
だから、中島の時代が来るんだよ、また。


宮台
まぁ、ということだということにしておこう。結局、社会が悪くなれば、アートには出番がやってくる。逆に、社会が良くて、〈システム〉が順風満帆で廻っているときには、アートの出番は、リラクゼーションの出番と、余り違わない。
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「非日常の登録」の歴史
宮台
両義的なことを言いますね。さきほどから二人でお話してきたように、「非日常を日常に登録する」動きは、江戸時代でいえば天保の改革から起こっている。もう18世紀からですよね。おそらくそういう現象が、昔からいろんな社会であるんですよ。
 古く遡ると、継体帝、つまり飛鳥から奈良時代に移る頃ですが、至る所に存在するシャーマンを、陰陽寮という役所に登録して、「聖=日知り」要するに時を司る役人にしていく動きなんかもそうなんですよね。ミカド以外のシャーマンを無害なものとして〈システム〉に登録する必要があったんです。
 この陰陽寮が解体していくプロセスが被差別民の発祥ですね。そういう意味でいえば、ガバナンスの中心にいる人たちは、「非日常をなくそう」とは考えない。非日常は一定の機能を果たすからです。だから必ず「非日常を日常に無害な形で登録しよう」と考えるわけです。
 こうしておけば、ガバナンスという観点から、非日常をうまく利用して、日常に向けて動員をかけることさえできる。わかりやす例はレニ・リーフェンシュタールですね。ロシアン・アバンギャルドだって、その影響を強く受けた戦前や戦時下の大日本帝国のアバンギャルドだって、そう利用された。
 「非日常を馴致した上での日常への登録」と「馴致された非日常を用いた日常への動員」は都度都度あります。良い悪いの問題じゃなく、社会はそういうものなので仕方ない。僕はそうした仕方ない〈システム〉の運動を先回りして人の意識に何を与えるのかを考えるのがアーティストの役割です。
 〈システム〉の運動を先回りして人に何を〈体験〉させるか。その意味では堤清二の渋谷公園通りだってそう。公園通りって皆さんが思っているものとは当初違ったんです。公園通り開発は73年から始まる。僕は71年から麻布に通うけど、公園通りがまだ職安通りと呼ばれていて、当時トルコ風呂街だったの。
 そこが公園通りとして再開発される。誰が考えても「ウソ社会」プロジェクトじゃん。でもそれを「ウソ社会」という風に批判するヤツはいなかった。なぜか。あれは「資本主義に外部を持ち込む動き」が敗北した後の、「資本主義に棹さしながら資本主義を異化しようとする闘い」だったからです。
 どのみち〈システム〉は全てを包含していく。それは人に帰属できないシステムの動きだ。気がついたらショボイ日常しかない。「資本主義の日常はこうだ」なんて突きつけてもみんな知ってるから仕方ない。だから全てを演技空間にしてしまえと。公園通りは資本主義を使って「ここを読み替える」戦いだった。
 60年代は、現実の中に「ここではないどこか」を探す「政治の季節」だ。それは北朝鮮だったりキューバだったりした。敗色濃厚になって70年代になると、虚構の中に「ここではないどこか」を探す「アングラの季節」になる。寺山修司や唐十郎が大活躍するのは60年代じゃなく、実は70年代だったんだ。
 でも70年代半ばになると「ここではないどこか」なんて探してるヤツはイタイという感じになる。それが公園通りだった。「ここではないどこかを探そう」じゃなく「ここを読み替えよう」と。同時代にはカタログ片手に街を歩けば一挙に異空間に変貌するっていう『宝島』的なカタログ雑誌文化もあった。
 同時代、西麻布の「シリン」というカフェは、細野春臣とか坂本龍一が集って、それがYMOのもとになった。そこから『ビックリハウス』的なものも生まれた。全部そう。ようするに、「ここではないどこか」を探すのはイタいからもうやめよう。そうじゃなくて、ここを読み替えようぜ、という動きなんだ。
 「ここではないどこか」を解放区とするんじゃない。「ここを読み替える」ことで解放区とする。そこからカタログ雑誌文化の最終形態『ぴあ』が出て来た。『ビックリハウス』もね。どれも「ここではないどこかの解放区」じゃなく「ここを読み替えた解放区」の試みだ。出発点が公園通りだったんだよ。
 ところが、77年に大きな転機があった。「ポパイ」が「ここを読み替える」カタログ雑誌から、「君にお似合いの女のコはコレだ」「こういうコとデートするならこの店だ」のマニュアル雑誌になる。それにつれて、公園通りも単なる「ナンパ空間」「オシャレ空間」になるわけです。
 「どうせ現実はショボイから敢えてシャレを演じる」という感覚が消えた。昔を知る連中から見ると、パロディ文化やカタログ文化と密接な関係があった堤清二の「ここではないどこかじゃねえんだ、ここを読み替えるんだよ」の革命的宣言が、読み替えられる以前を知らない世代によって日常化されたんだ。
 この動きを僕は20年近く前に書いた『サブカルチャー神話解体』っていう本で「シャレからオシャレへ」と名付けた。公園通りは結局カップルカルチャー圧力の権化みたいになって、そこに行けない奴がオルタナティブカルチャーとしてのオタク文化を作った。公園通りはオタク文化にもきっかけを与えたの。
 僕は71年に麻布中学に入って渋谷で遊ぶようになり、そのまま東大に入り、東大駒場の助手になって、今も駒場に住んでるから、40年も渋谷を徘徊してきたわけ。だから70年代にトルコ風呂街だった公園通りを舞台にしたせめぎ合いを記憶してる。〈システム〉がすべてを包摂する動きも目の当たりにしたわけ。
 この体験は両義的だよ。全てを登録しようとする〈システム〉の動きは物凄く、単純に抗えるはずがない。そういう諦めにも似た感覚とは別に、〈システム〉の外に出られる訳じゃないが、「ここを読み替える」運動によって、内であると同時に外でもあるような境界的な位置に立てるんじゃないかと今も思う。
 僕は70年代の公園通りで中高時代を送ったから「ここを読み替える」運動の影響をすごく受けた。だからスワッピングとかにもハマった。冒頭に中島の野郎が紹介してくれたがな(笑)。そのときも思ったけど、結局、時々確認しなきゃダメなんだ。全てが演技空間だってことを。ベタになったらダメなんだ。
 「所詮こんなものは、本当にありそうもない秩序が、如何にもありそうな顔をしているだけなんだ」というのを思い出すためには、外に出なきゃだめなんだ。でもそれは原初的社会におけるハレとケの交代と同じで、それ自体は社会システムのサーキュレーションの内側にある。それも勘違いしやすい点だ。
 日常の体験を勘違いしないために、境界線の上に立つ。境界線に立つ体験をベタに非日常だと勘違いしないように、境界線の体験を観察する。つまり、境界線の体験の境界線の上に立つ。こうした運動はむろん社会システムが用意してくれた座席に過ぎないが、毎日を少しはエキサイティングな気分で送れる。
 いきなり子育て論にシフトすれば、だから子供は、喧嘩とか殴り合いとか時々やらなきゃいけない。でもそれを繰り返すことで、非日常にみえる喧嘩も殴り合いも一つのルーチン的日常に過ぎないことを知ることが目的だ。ところが喧嘩や殴り合いがベタに非日常だと思う馬鹿が出てきた。キミたちの親だ。
 それで、喧嘩は行けません、殴り合いは行けません、性的放埒はいけませんみたいになっちゃった。すべての公共施設には柵や塀が出来て、すべての屋上や非常階段はロックされ、すべての川や運河は暗渠化され、すべての道路にはガードレールがつき、すべての物陰には監視カメラがついた。くそったれ!

宮台
もちろんありました。

宮台
日本の場合、「キャラメルママ」なんですよね(笑)

宮台
おっ、「もの派」、出ましたね。


宮台
貸本屋は1955年くらいから、僕が小学生だった1960年代を通じて花咲いた文化ですね。ちなみに1959年に『少年マガジン』と『少年サンデー』がでて、だんだんと貸本文化をリプレイスしていくわけです。

宮台
当時「ガロ」という漫画雑誌によく美学校の広告が出てましたよね。青林堂の「ガロ」です。まさかここまで残るとは誰も思ってなかった(笑)

宮台
いや、あまり美術館には行っていないんです。ただ70年代っていうことで言うと、やはり『ニューセルフ』や『ウィークエンドスーパー』で知ったアラーキーと、アラーキーを通じて知った中平卓馬の『植物図鑑』の写真が衝撃でした。中平ってすごい文章が上手な奴で、蓮實重彦を論破するほどの人でした。
 中平はこういうことを言った。反権力モードというのも、どのみち一つの権力モードとして機能する、と。「もの派」なんかも全部含めてそうですよ。アンチモードも一瞬後にはモードになる。だからこそ「もの派」という風に呼ばれて登録されちゃうわけでしょ。
 中平や荒木や森山の『プロヴォーグ』ないし「ブレボケ」写真について言えば、それが話題になるや「中平卓馬風の写真」が投稿で殺到するわけです。〈システム〉や日常を爆砕するための作品が一瞬後に日常に登録されて「これが新しいアートなんだね」となるわけ(笑)。
 彼は、こうした反権力の不可能性や反システムの不可能性を考えに考え抜いた末、権力やモードに敵対しようという意識が必然的に権力やモードを招き寄せることに気付いて、まるで図ったかのように壊れちゃうわけです。精神的に破綻してしまったあと、撮り始めた写真が『植物図鑑』でしたよね。
 それまでの増感原像の粒子が粗い白黒写真じゃなく、コンパクトカメラにカラーフィルム入れて、日常の風景を撮り始める。何の変哲もない風景なのにこれが怖ろしい。『植物図鑑』の写真を見ると、ゴッホの絵を最初に見たときの体験が甦っちゃう。日常が「ある」ということ自体が迫ってきちゃうんです。
 ここには、視覚体験を組み替える主体がいない。主体としての中平卓馬は壊れちゃったんで、主体は端的に不在なんです。だからそこには〈世界〉があるんです。そのことに息を呑むんだよね。あぁオレは見えているものが全然見えていなかったというような感じ。無害なものがこんなに恐ろしいのかという感じ。
 権力に敵対しようという意識って言ったけど、体験を組み替えようという主体こそが権力を呼び寄せる。でも主体がない表現なんて語義矛。普通は不可能です。でも中平は精神が壊れたので、それができる。時期が時期だったので、アバンギャルド的なものから自分が離れていくきっかけになりましたよね。

「呪物」と「闇の力」
宮台
そうです。人形劇というのは――人形劇をみんながどれくらい見ているか分からないから言い方が難しいんだけど――幾つか面白い点がある。僕が昔から見てきた結城座は、旗揚げが寛永12年だから、370年以上続いてきたんだけど、基本的には浄瑠璃と同じ演目、つまり古典劇をやってきているんですね。
 現在の当主は12代目結城孫三郎なんだけど、11代目結城孫三郎(今は田中純)の代から、古典劇とアバンギャルド劇を二足の草鞋としてきた。アバンギャルド劇の扱いを巡る対立も潜在的にあって、今は11代目孫三郎こと田中純と、3代目結城一糸が、アセファルという人形劇一座を作って分裂したんだ。
 アバンギャルド劇の最大傑作は、1999年12月22日から25日まで演じられた芥正彦演出『アンチェイン・マイ・ハート』。とりわけ楽日の公演は凄くて、僕は完全にトリップしたし、僕のゼミの女子学生の一人はトランス状態になって、公演が終わってから夜通し街を徘徊しちゃったって言うんだ。
 このとき結城一糸が語ってるんだけど、ルーチンに見える古典劇を支える「闇の力」を呼び覚ますために、定期的にアバンギャルド劇をやる必要がある。「闇の力」って分かるかな。僕の著作で、〈社会〉からやってくる〈横の力〉に対して、〈世界〉からやってくる〈縦の力〉と呼ぶものと、同じだ。
 人形って形代だよね。形代って人のようでもあり物のようでもあり、あるいはそのどちらでもない。エドモンド・リーチのいう「境界上の存在」なんだ。だから〈社会〉の裂け目を構成して、そこから〈世界〉が閏入する。ちなみに〈社会〉はコミュニケーション可能なものの全体で、〈世界〉はありとあらゆる全体だ。
 人形劇は実に不思議なんだ。形代だから見立てが勝負なんだが、人形の造形が現実の人に似すぎていると見立てができなくなる。不思議なことだけど、人形の形代としての性質を最大限利用するには、人形は人に似すぎてはダメ。むしろ「へのへのもへじの案山子」のほうがよかったりするんだね。
 人形劇が引き開く時空は、見立てを可能にする特別なものだから、人形劇を見に行くプロセスがとても大切になる。日常の時空をそのまま芝居小屋に持ち込んでしまえば、まずもって見立てが難しくなって、人形劇が引き開く時空にアクセスできなくなってしまうんだ。
 昔は児童演劇運動があって、京都の小学校にいた頃は毎年学校全体で芝居を見に行ったの。山を越えて遠足して人形劇を見に出かけたんだ。そうやって体を使って遠くまで移動するプロセスで、わくわくする期待もあって、僕らは日常の時空から引き剥がされて、人形劇を見るのにふさわしいモードになる。
 いわば、ビンの中身を味わうために、ビンの蓋をとるプロセスにあたるね。さっきのミュージシャン「P.A.N.A project」の方々がビンの蓋をとってくれたから、中島のパフォーマンスにすっと入れたってことが、大きい。僕は人形劇の一座の方々によく言うんだけど、ここを大切にすることが実はポイントなの。
 例えばね、さっきの『アンチェイン・マイ・ハート』であれば、あの灰野敬二が開演の30分以上前から爆音ノイズをかきたてて、それが三軒茶屋シアタートラムの外にまで鳴り響いていたんだ。列を作って会場に入るプロセスで、観客はいわば「できあがって」しまうわけだ。人形劇ではこれが大切なわけ。
 この『アンチェイン・マイ・ハート』の楽日の公演は「わけがわからないけど凄い」という体験の中でも最たるものだった。日常の中に登録された非日常というんじゃない。今でも思い出すと、「あれは何だったんだろう」という感じになると同時に、この現実がふっと仮構のように感じられてしまうんだ。
 つまりね、さっき言った「非日常の中に、日常が一種の奇蹟として浮かんでいる」という感覚が、1999年の世紀末にもなって再現されたんだよ。これが芥正彦によるアバンギャルド・アートであると同時に、結城座による伝統的な糸操人形劇だったってことが、実はすごく大切だと思う。
 ってのは、浄瑠璃的な古典劇でさえ、そもそもめざす所は同じなんだ。遡れば、原初的社会における祝祭の時空で、男女や上下を含めてステイタスを逆転したり役割を入れ替えたりした上で、共同身体的にトランスを体験するのも、「非日常の中に浮かぶ、日常という奇蹟」を感覚するためのものだったんだ。
 ところが、人形劇は誰にでも開かれているものじゃない。コンテンポラリーアートがウンチクによって閉ざされているのとはまた別に、人形劇の秘蹟は、人形劇リテラシーないし人形リテラシーがある者にしか体験できないんだ。このリテラシーは経験で養われるもので、経験のない人には体験できないんだ。
 例えば大塚英志や僕は、球体関節人形を初めとして人形をコレクションしている。なんで人形をコレクションするか。理由は簡単だよ。人形には〈縦の力〉が降りるからなんだ。人形をじっと見ているとその周りに〈世界〉がブワーッと広がっていって…

宮台
本当は中島が引き寄せようとしているものだよ。人形をじっと見ていると、局在する人形からダーッと〈世界〉が広がって、気がつくと、自分は〈社会〉じゃなく〈世界〉の中にいるんだ。単なるリアリティの書き換えじゃなく、〈社会〉から〈世界〉へという離陸体験だ。それが人形や人形劇がそもそも持っている力なの。
 古くから人はそれを知っているわけです。形代の恐ろしさというヤツです。江戸川乱歩や横溝正史にも人形がしばしば小道具として登場するのも、それがあるからだよ。だから人形は、祭りのとき以外は、人を眩暈に陥れるから、出してきちゃまずいんだ。同じ理由で、傀儡師(人形遣い)は危険な存在なの。
 でも人形リテラシーのない人にとって、人形は物体に過ぎない。例えば、古典劇の公演日が4日あって、4回続けてみたときに成功したのは1回だけであとはクズだということがあります。でも、それが分かる人って本当にいない。数百人で数人しかいない。今はそういうものになっちゃった。昔は違った…

宮台
知識じゃない、全然知識ではない。

宮台
正確にいえば、昔は割とみんなにリテラシーがあったんだ。だから、みんながほめた芝居を、僕が「失礼を顧みずに申しますが、今日はダメだったと思います」と言うと、結城座の人たちが「そのことを分かってくださる方が一人でもいるという事実に、私たちはホッとします」と返してきたりするんだよ。
 12代目結城孫三郎がこうも言う。新版歌祭文野崎村乃段を10代目以降長らく演目に載せなかったのは「虚数の間」を再現できる自信がなかったからだと。ビデオで撮ってタイムコードを打って、物理的なタイミングを忠実に再現するだけじゃダメなんだと。「実数の間」に還元できない「虚数の間」があると。
 古典劇は物理的には単なる反復で、反復はルーティーンなんだけれど、4回反復してたった1回だけ「実数の間」に「虚数の間」が重なるといったような微妙な反復なんだ。こういうのって、「主体が表現する」という図式の内側でだけあがくコンテンポラリーアートの困難に対する、一つの解答だと思う。
 反復から逃れるとか、登録から逃れるとか、どうせできやしないんです。全ては権力の内側なんです。だから登録されたものを反復する。それでいいんですよ。ただ、登録されたものを反復するとき、実に微妙な形で「〈社会〉が〈世界〉に浮かぶこと」「日常が非日常の海に浮かぶこと」を示せるんです。

芸術の原点とモダンアートの困難

宮台
え、そうなの?(笑)

宮台
なるほど。コンテンポラリーアートが難しいのは、モダンアートを含めた近代の概念に「作家性」というものがあって、「主体が表現する」という枠組の中でそれを見るという癖が僕らにはありますよね。それが近代という〈社会〉の中の意味論にどっぷり浸かっているということです。
 日本の古典芝居だと、能にも狂言にも歌舞伎にも浄瑠璃にも糸操人形劇にも「何代目の襲名」というのもあります。襲名というのは表現者としての免許皆伝じゃない。むしろ、個性が完全に消えて滔々たる繋がりの中に身を置くことが出来れば、成功ということなんです。作家性の消去こそが成功なんですよ。
 ところが、ロジェ・カイヨワも、シュルレアリストたちの表現を東洋の文物と比べて述べているように、近代を批評するとか言ってるシュルレアリストでさえ、結局は作家性という「凡庸さ」を手放さないわけです。そこを手放さないで「近代を疑う」とか「モダンアートを疑う」って笑止千万でしょう。
 ただ、誤解しちゃいけないのは、これら表現者の責任に専ら帰属されるような問題じゃない。例えば僕らが結城座の人形劇を見に行くとき、作家性は観に行かない。これは「享受の制度」ないし「享受のシステム」の問題です。つまり、アートをめぐる制度の内側では、どのみち近代は超えられないんです。
 そういう意味で言えば、アートという括りの中で中島が何やってもさ、人はどうしても「中島の表現」を見に来ちゃうわけ…まぁいねぇかそんな奴(会場笑)。そういう風に見られるとさ、中島が何やったって、「中島さんは何を表現しようとされたんですか?」みたいな変なババアが来ちゃうわけよ(笑)。
 そのこと自体は中島の責任じゃなかったりする。そこをどうできるかはすごく難しい。今言ったような問題を問題として抱えようとするのは作家の責任だと思うけど、作家単独でどんなに努力してもアートの享受をめぐる近代的な言語ゲームは変えられない。だからそこに大きな難しさがありますよね。

宮台
でも「近代の超克」も、すでに近代に登録された話なのよ。まぁ、これは我が師匠である廣松涉先生による「近代の超克」批判の、骨子中の骨子だけれど。

宮台
そう。「近代の超克」は可能かという問題設定の仕方自体が、近代的なんだ。ただ思想の流れからすると「近代の超克は出来ない」という話になってきた。ポストモダンもモダンに登録されたモードに過ぎないことがハッキリした。モダンにいろんなモードがあるに過ぎないという話になってきた。
 つまり「中平卓馬問題」がますますせり出して、みんなの知るところになった。ポストモダンはモダンのモードの一つに過ぎないということに異議を唱える奴の方が逆に珍しい。そういう時代だから「作家性」とか「表現としてのオリジナリティ」とか足掻かないほうがいい。まして日常の爆砕とか痛々しい。
 僕たちは、2001年の9.11のはるか以前、1995年のオウム真理教事件のときに、このことについて十分に思い知ったはずなんだ。〈世界〉のことを考える自意識のイタサを、十分に思い知った。だからセカイ系という分類さえある。僕自身はオウム事件以降、ますます古典劇にのめり込むようになりました。

宮台
オウムと9.11を経由した以上、時代は追い風です。いろいろ足掻くことのムダがはっきりしたからです。だったら、アーティストがやるべきことは――という言い方はもう登録されているけれど――この世の中は全部「ウソ社会」であることに目覚めろ、ということに尽きる。それが原初的社会からの伝統です。
 結局は「受苦的疎外」ということです。つまり「真実の社会」に目覚めろということじゃない。そういう「本質疎外論」はクズです。あまたある別様であり得る可能性から疎外されていること。本来どうとでもあり得るのにソレでしかあり得ないこと。「非日常の海に浮かぶ、日常の奇蹟」とはそのことです。
 強いて言えば、真実とは、「どうとでもあり得た」という事実です。その意味で、ベールを取り去る。そのベールの中には、「真実とはしかじかである」という「本質疎外論」も含まれます。ベールを取り去って、「受苦的疎外論」の地平に立つ。そのことで非日常ではなく、日常の中にこそ奇蹟を見出す。
 僕が言うのは、ベールを剥ごうとする中島それ自身がまさにベールであり得る可能性です。キミが「真実」を提起した途端、「中島みたいな変な奴がいる変な社会になったよね」という話になりがちなんだ。そんな「真実」は提示しちゃダメだ。「真実」じゃなく「どうとでもあり得た」ことが大切なんだよ。
 〈社会〉の裂け目から、その向こう側にのぞく〈世界〉に接触するっていうのは、そういうことなんです。その意味で、どんな社会も「ウソ社会」なんです。僕が「追い風だ」というのは、みんなそのことに気がつき始めたらしいことです。それが、オウムと9.11以降の「追い風」の意味です。
 そんな「追い風」が吹いている以上、中島のイチモツ・パフォーマンスを見て、人々が〈社会〉の向こう側にある〈世界〉に接触出来る時代が、また遠からず来ると僕は思うんです。結局そこがポイントなんだ。だから別に作家性なんてどうでも良い。キミがそうした機能が果たせればいいだけだから。
 所詮は全部「ウソ社会」じゃねえか、というとき、「ウソ社会」的なものの筆頭に「中島という作家性」があがらなければ、ダメなんだよ。でも、すでにそうなっているよな(笑)。「中島という作家性」なんて誰も信じていない。つまり、キミにいちばん可能性があるってことなんだよ(笑)。



投稿者:miyadai
投稿日時:2010-05-30 - 17:22:29
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中島岳志さんとのロング対談「右の論理」が収録された書籍が間もなく上梓!!

中島岳志『保守のヒント』 (単行本)
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アマゾンの口上:混迷の日本をどう捉えればいいのか。保守と右翼の違い、マニフェスト選挙の問題点など、気鋭の学者が近代日本史をふまえつつ論じる。「右的なもの」の本質に迫る宮台真司氏とのロング対談を収録。
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例によって宮台発言を抜粋します。
以前この一部をアップロードしたことがありますが、その3倍ほどの分量をここにアップします。

中島岳志さんの発言は削除してありますが、彼とのスリリングなやりとりを知りたい方は、ぜひとも保守のヒント (単行本)をご購入ください。


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「右の論理」   (宮台真司発言抜粋)
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『サイファ覚醒せよ!』の衝撃
宮台 ぼくは保守というより右翼です。平時は保守だけど、非常時に右翼だという言い方でもいいです。右翼と保守とは一部重なるけど一部は異なる概念です。保守と右翼の違いにも関わるので、後で補足します。それはともかく、ぼくにとって右翼への最初の入口は廣松渉先生です。
 廣松先生は東大のブント委員長だった経歴もあり、左翼に分類されます。でも、ぼくは廣松の「疎外論から物象化論へ」というスローガンを当初から真に受けませんでした。「疎外論から物象化論へ」という場合の疎外論は本質疎外論です。「本来あるべき姿から遠ざかっている」ことで、ユダヤ・キリスト教的「失楽園譚」にまで遡れる思考伝統です。
 ところが疎外概念には別の使い方がある。「今ある現実とは別のあり方が可能なはずなのに、こうでしかありえない」つまり「現実化されているものは、数多の可能性のうちのごく一部」という意味での「受苦的疎外」です。この言葉は僕が東京外大の専任講師をしていたときの上司にあたる山之内靖先生から借り出しています。
 ぼくがこうした疎外概念を使うのは、学問系譜上はルーマンの影響が強い。ルーマンには「受苦的疎外」つまり「本質からの疎外ではなく、数多の他の可能性からの疎外」の発想があります。誰も着目しないルーマンのこの発想に着目するのは、ぼくが廣松先生の佇まいを通じて「、受苦的疎外」の概念を“知って”いたからです。
 廣松先生は学者である前にアクティヴィストです。公安のブラックリストに学生時代から載っています。上京して間もなく革命家になるからというのでパイプカットもした(笑)。「疎外論から物象化論へ」というスローガンは、そんな彼自身の過剰な内発性を全く説明しない。そこが「廣松=右翼」問題のキモに当たります。
 ぼくは、廣松先生のこういう姿に合理的な説明のつかない衝動を見出し、大学一年生のときに「感染」しました。当時東大で教えていらっしゃったんです。麻布高時代に、廣松先生の盟友松田政男氏の著作で廣松先生を知っていて、著作を読んでいませんでしたが強い興味を持っていました。
 大学院に入ってからは小室直樹先生―こちらは極右―にも同じようなものを見出し、「これだな」と意識しはじめます。つまり「感染」を自覚するようになります。でも「これだな」の内容は、エマソンのいう「内なる光」、スピノザのいう「根源的衝動」にあたるもので、当時はうまく言葉にできませんでした。
 言葉にできない何かであっても自覚できます。それはぼくにとって自分自身の衝動そのものなので、言葉にする必要がないものでした。廣松先生もそういう問題については著作や講義で一切言葉にしておられなかった。だから、ぼくは言葉にできないだけでなく、言葉にするべきではないものだと理解していたように思います。
 自らを物象化論者と規定するような廣松先生的な禁欲にこそ「感染」したわけです。具体的にいうと、人間の全き自由を追求するという目的のために、人間の行為や体験はアルゴリズムによって、主観と無関係に──というか主観それ自体でさえ──決定されているという理論的立場を、僕はあえて採るようになります。
 そこからぼくの社会システム理論家としての自己規定が始まる。「人間を疎外する奴がいる」みたいな初期マルクス的発想から、「資本主義に悪者はおらず、人々が資本主義のゲームに合理的に適応するだけで絶対的窮乏化が起こる」とする後期マルクスへのシフトを廣松先生が重視するのも、この禁欲と関係すると思いました。
 のちに自覚するのですが、こうした理解は完全に右翼的なものです。

右の真髄は「意気」
宮台 これも重い話ですが、九六年から九七年にかけて日米安保見直し協議と日米安保共同声明があり、周辺事態法&有事法制スキームが出てきたんですが、右翼がこれに反対しないのが不可解でした。「何が起こっているのかわかってないのか」と思いました。
 でも当時のぼくは援交フィールドワークの最中で、ぼくが発言せずとも誰かが声を上げるだろうと傍観していました。ところが九九年の第一四五回通常国会で国旗国歌保安や盗聴法案や周辺事態法案などが出てきて、左翼が「国家権力の肥大化だ」などと言い出したので仰天した。「馬鹿いえ、国家権力の弱体化だぞ」と。
 昔の亜細亜主義者がみれば、政治家・官僚・民間を含め、「亡国の徒」がペンペン草も生えないぐらいにまで国をむしり取ろうとしている状況というのが正しい。「いざとなったら米国に守ってもらうしかないので、対米追従しかない」という口実を使って、自らの権益を最大化しようとする売国奴が跋扈していたわけです。
 これは国家を簒奪するゲームだから、これを国家権力の肥大だの横暴だのと言う奴は、本当のトンマです。そうした鬱屈感情が九九年に爆発して、左翼の集会などに出かけて「トンチンカンなこと言ってるんじゃない」って話をするんですが、通じない(笑)。こりゃ相当まずいなと思った。
 知らない人のために言うと、ぼくが28歳のときに書いた博論『権力の予期理論』は、国家権力構造の数理的記述という壮大な目標を掲げたものです。ぼくの研究の出発点は、国家研究や権力研究なんですね。その後、サブカルチャー研究から性愛フィールドワークに転じたので、ぼくが転向したように思う方が多いようですが。
 99年に話を戻すと、当時の妻だった速水由紀子が、鬱屈したぼくの姿を見て、一〇年以上後に書く予定だった宗教の話を書いたほうがいいと勧めてきた。「社会に投企する理由は社会自体にはない」という僕の考えが、宗教的だと思ったんでしょう。早すぎると思いましたが、ぼく自身の体験をベースにして語ることにしました。
 ただし学術的な話はしない。折口信夫や三島由紀夫や保田與重郎が強い関心を寄せた初期ギリシアの感受性や行為態度を、初期ギリシアという言葉や、ディオゲネスとかアリスティッポスという人名を出さずに説明できるかどうかチャレンジしようと考えました。
 右翼の本質は主意主義です。主意主義の出発点初期ギリシア思想です。これはスコラ神学を通じて社会思想へと継承される。初期ギリシアの思想が理解できないと右翼の本質が分からない。実は「セム族的な唯一絶対神信仰に対抗するべく、絶対神を否定してパンテオンを持ち出す立場」に初期ギリシア思想の本質があります。
 「絶対神を否定してパンテオンを持ち出す立場」は紀元前8世紀のホメロス叙事詩の時代以前の「暗黒の四百年」を語り継ぐためのもの。「絶対神への依存」にかえて「不条理への開かれ」と「凄い者への感染」を持ち出す。この立場は、当時の都市国家における重装歩兵の集団密集戦法(ファランクス)と整合するものです。
 右翼への関心はぼくが二十歳代でアウェアネス・トレーニングに関心を寄せていた時代からです。一つのきっかけは鈴木邦男『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書、一九七五年)を刊行五年後に読んだこと。「情動の連鎖」の概念に関心しました。
 よど号ハイジャック事件に触発されて三島由紀夫が決起し、三島の決起にうながされて反日武装戦線〈狼〉が決起し、反日武装戦線〈狼〉の決起にうながされて野村秋介が経団連襲撃に決起して、という風にピンポンするありさまを「情動の連鎖」と呼んだんです。「意気に感じること」とも表現しています。
 鈴木邦男氏が書く右翼の本質と初期ギリシア的な構えの本質は同じです。ところが彼が書いたことに誰も注目しない。右翼も古代ギリシア研究者も注目しない。おかしい。だからぼくはのちに、この本の新装版の解説を書いた。これは『援交から天皇へ』(朝日文庫)という拙著に収録されています。
 資本主義を肯定するか否かは左右対立に関係ない。戦前右翼は資本主義を否定しました。再配分を肯定するか否かも左右対立に関係ない。北一輝や石原莞爾は再配分主義者でした。天皇主義か否かも左右対立に関係ない。昭和ファシズムを駆動した日蓮主義者は天皇を道具として使おうとしました。
 こういう思想的常識を弁えない者が、自称他称で右だ左だのというのは困ります。ミメーシス(感染的摸倣)ならびにミメーシスを可能ならしめる社会的文脈の保全に、強くコミットメントするような、自分自身がミメーシスによって駆動される存在こそ、真の右翼です。これを思想史に言及せずに書くと『サイファ』になります。
 『サイファ』を書いた2000年の段階だと、思想史的に「真の右翼」について語ると、誤解されて危険だと思ってました。書き方がわかっていなかったんです。速水の問いに答える形でなら書けると思いました。「やむにやまれず」「意気に感じて」とかヤクザ映画好きが痺れるようなモチーフを、もっともらしく推奨できると。

廣松渉と全体性
宮台 田辺の「種の論理」よりも高山の「呼応の論理」のほうが廣松の議論に近いのは言うまでもない。実際「呼びかけ」と「応答」は彼の役割理論の基本概念でもあります。ただし詳しく読むと、廣松が一切な批判的言及を回避しているのは、最も若年でかつ唯一哲学者でなかった歴史学者の鈴木成高だったりする。
 それはともかく、高山をはじめ西田幾多郎の周辺の思考ってカール・バルト神学の思考と近いんです。カール・バルトの神学は危機神学の名前で知られます。自分たちには神の言葉を知ることができない。神は絶対者で、自分たちは相対的な存在だからです。人間がこれは神のメッセージだと僭称することは許されないとします。
 これは社会科学でいえば、全体性は存在するが、不可知、不可侵であるとする思考です。簡単に言うと「あることは確かだが、実態はわからない」という立場です。しかし分かろうとする営みには意味がある。人間同士が「お前は全体性を踏まえていない」「いや踏まえている」といった鍔迫合いはできる。
 抽象的図式として言えば、我々は全体性にたえずさらされてある以上、全体性を認識する必要があるのに、残念ながら全体性は永久にわからない、といった構造を、「危機」とバルトは呼ぶわけです。京都学派は全体としてバルト神学によく似ています。それとは別に、廣松の若い頃からの議論もバルト神学に似ているんです。
 冒頭の話に関係しますが、廣松は若い頃から失楽園譚的な本質疎外論を徹底拒絶します。これが全体だという措定を徹底拒絶するのと同じです。そのことを廣松は「世界が世界する」と称します。「世界が世界する」その一コマに人間たちの営為がある。でも僕たちには「世界がどう世界しているのか」は絶対に分からない。
 ところが廣松は「歴史の推転に棹させ」と推奨します。歴史の推転つまり「世界がどう世界しているのか」は絶対に分からないのに。廣松がなぜ京都学派に関心をもつのか。全体性は確かにあるが我々には触知できず、全体性はローカルなトポスにおいてある角度から切り取られたものとしてしか見えてこないからです。
 それが廣松の言い方では「エトヴァス・メール(etwas mehr:それ以上なにか)」となるわけです。いつも何かは「それ以上の何か」なのですが、「それ以上の何か」とは何かを認識しようにも、影踏みや逃げ水のように、常に既に逃げてしまう。それをローカルなトポスにおいて触知しようとする京都学派を評価するんです。
 冒頭に申し上げた「受苦的疎外」とは、「本質からの疎外」ではなく「別様のあり方からの疎外」だと申し上げましたが、これは構造的には「全体からの疎外」だと言っても同じです。廣松渉とは「受苦的疎外」の人ですが、いつも「別様のあり方からの疎外」=「全体からの疎外」に悩み、焦燥していた人だということです。

宮台 高山岩男、高坂正顕、西谷啓治の三名が哲学者でヘーゲル流の「世界史の哲学」を志向したのに対し、鈴木成高がランケ流の「世界史学」を志向していたという差異も重大です。「世界史の哲学」とは違って「世界史学」は、語りえないもの(全体性)については沈黙して、歴史自体に語らせる方法をとります。
 ちなみに鈴木成高は1938年にランケ『世界史概観』を翻訳していますが、ぼくの見るところ、廣松は鈴木成高を意識しつつ高山岩男を批判しようとしたというのが実態ではないかと思っています。なぜなら廣松は「言及できないことを言及すること」の問題を論じているからです。
 「言及できないことを言及せずに前提とする」という廣松の態度こそが、ぼくに言わせると「右的」です。それに対して「これが全体ではないかと言及する態度」は「左的」です。前者は主意主義に相当し、後者が主知主義に相当することは、もはや言うまでもない。高山ではなく鈴木成高だというところ、廣松は「右的」です。
 言い換えれば、「世界史の哲学」にとって全体性は(たとえ不可能であれ)言及するものですが、「世界史学」にとって全体性は刺し貫かれるものです。「刺し貫かれるもの」というとハナ・アレントの『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房、一九六九年)をめぐる、アレントとショーレムのコンフリクトを思い出します。
 ショーレムが、なぜお前はユダヤの娘なのにユダヤを冒涜するような軽薄な文章を書くのかと問う。アレントは、なんと奇妙な難詰かと応答する。自分がユダヤの娘である以上、どう振る舞おうが何を書こうが、つま先から髪の先まですべてユダヤ性に刺し貫かれていることは自明なことではないか、と反論する。
 言い換えればこうです。ユダヤ性は「ある」に決まっている。それが自分たちを「刺し貫いている」に決まっている。しかし、だからこそ、何がユダヤ性なのかを言及することなどできはしない、と。その意味で、ショーレムは、高山岩男、高坂正顕、西谷啓治に似て、アレントは、鈴木成高に似ます。
 廣松もアレント的=ランケ的=鈴木成高的な感受性を強くもっていたので、ぼくは評価しています。南京大学の記念集会で「廣松はそういう意味で明らかに右だ」って言ったら、荒岱介が「ふざけるな宮台、廣松はプロレタリア・インターナショナリズムだ」と。そうしたら廣松の奥さんが「廣松の口癖は尊王攘夷でした」と言ってすべてが決着したという事件もありました(笑)。

宮台 保守思想の源流はフランス革命の同時代に革命を批判的に考察したエドマンド・バークです。カール・マンハイムに言わせると、社会契約説などに始まる近代主義の最終形態として保守思想があり、これは素朴な伝統主義とは隔絶した、近代合理主義に基づく「再帰的な伝統主義」だと言うのです。
 またしてもキーワードは全体性なのですが、第一に、我々には社会的な全体性を知ることができない以上、社会的な全体を設計できないし、第二に、うまく回っている社会があるとして、なぜその社会がうまく回っているのかを我々はつまびらかにしきれないのから、それなりにうまく回る社会を軽々しくいじるな、となります。
 つまり、保守主義とは、我々の認識能力や行為能力の限界という当然のことを踏まえた上で、法実務でいう「不作為という作為」を推奨する。「あえていじる」よりも「あえていじらない」という選択をしたほうが合理的だろうというのです。だから、それはナイーヴな伝統主義--昔からの作法を単に尊重する性向--とは違います。
 つまり「理性に従って社会を設計することは、理性的に考えて限界がある」との認識です。これを「事実性の尊重」とも呼べます。うまく回る社会があるとすれば、うまく回っている事実の重さを尊重しろというわけです。ここには「我々は全体性に刺し貫かれているけれど、全体性は見えない」という認識があります。

美的と美学的
宮台 そうです。じゃあ右翼とは何なのか。さっき主意主義=右、主知主義=左、と整理していただきました。そこでいう右とは一義的に右翼のことです。保守主義は、マンハイムのいうように、合理性の限界を指摘するものの、再帰的伝統主義という近代合理主義の変種なので、左のようでも右のようでもあります。
 保守が「全体性の尊重」だとすれば、右翼は「美学への帰依です」。不可能な全体性への帰依を持ち出す点では保守もロマン主義的たりえますが、右翼のロマン主義との決定的な違いは、世直しや維新への帰依を積極的に肯定するかどうかです。右翼も不可能性を志向するのですが、世直しや維新をめぐってそれを志向します。
 だから、保守は平時ないし日常の思考で、右翼は戦時ないし非日常の思考だとも言えます。保守と右翼は、だから排他的概念ではない。例えば、うまく回ってきた社会が、外や内の敵によって危急存亡の淵に立っている場合、どうするか。保守は厳密にはインディファレントになりますが、右翼は世直しや維新や革命の旗を振る。
 だから、平時には保守と呼んでいただいて結構だが、戦時には右翼に転じるということがあり得ます。だから保守は感染(ミメーシス)をさして重視しないが、右翼は感染を重視するという違いがあります。右翼が感染を重視するがゆえに「美学への帰依」が見られるわけです。ただし「美学」は「美」とは異なります。
 美学の尊重は一八〇〇年頃の初期ロマン派のともので、美の尊重はそれから一〇〇年以上たって隆盛になる後期ロマン派のものです。初期ロマン派は不可能性に敏感ですが、後期ロマン派は鈍感です。だから初期ロマン派は全体性を表象不能だと見做すのに、後期ロマン派は民族や民族精神や「魔の山」的風景に全体性を見出す。
 だから、後期ロマン派がナチズムを準備することになります。さきほど中島さんが説明された「右翼」は後期ロマン派的なものす。だから「政治と文学の一致」とか「全体性と行動の一致」が可能だと捉られてしまう。これはぼくに言わせれば「短絡した右翼思想」です。初期ロマン派的には「政治と文学の一致」は不可能です。
 でも「政治と文学の一致」など世迷いごとに過ぎぬとする廣松渉に、ぼくは美学を見出して心酔する。ぼくが廣松渉を右翼だと思うというのは、そういうことです。それでいえば、戦後右翼より戦前右翼のほうが初期ロマン派的で、戦前でも、国権派よりは国権派への転向以前の民権派の亜細亜主義者のほうが初期ロマン派的です。
 初期ロマン派は初期ギリシアを参照し、「見えない全体性が自分を刺し貫くが、全体性は見えない」と考えます。たとえ偶像崇拝を禁じて全体性の不可能性に言及しようと、唯一絶対神という表象を立てるようなセム族的宗教性は、初期ギリシアの人々には「不条理の只中に屹立する自立」でなく「絶対性に帰依する依存」です。
 そのような意味で、古代ギリシア文献学者のニーチェは、初期ロマン派の視座から、後期ロマン派に見えるワグナーを、批判するのですが、しかしそのニーチェはワグナーが何もかも分かっていながら「敢えて」やっているペテン師であることを弁えていて、そこに心酔してもいるわけです。オペラはそもそもペテンですからね。
 玄洋社や黒竜会の如き「国権派の扮技をした民権派」と同じで、「後期ロマン派の扮技をした初期ロマン派」という構図があり得ます。だからこそ「ネタからベタへ」の頽落が問題化する。初期ロマン派的な契機を欠いた者を真正右翼とは認めませんが、ぷっと思いながら「政治と文学の一致」を提唱する真正右翼はあり得ます。
 こうした意味で、後期ロマン派的な美と、初期ロマン派的な美学を、一応峻別するのが欧州的伝統です。アドルノもベンヤミンもアレントもフーコーも、初期ギリシャ的ないし初期ロマン派的な「不可能性の美学」に殉じようとします。その意味で、ベンヤミン的には、全体性はシンボル(美)でなく、アレゴリー(美学)です。
 「瓦礫の中の星座」とか「フラッパーな所作を刺し貫くユダヤ性」といった言い方それ自体も実はシンボルですから--だってアレゴリーという概念自体もシンボルですから--所詮は美と美学を截然とは峻別できません。しかしそれでも、世の自称他称右翼の大半は後期ロマン派な頽落に陷っていると言えます。

サフィックスをつけ、あえて言う
宮台 廣松渉は物象化を推奨して本質疎外論を否定しました。そこからどういう行動指針が得られるのかです。主体や疎外などの概念を立ててはいけないのかというと、違います。「人間は受苦的疎外--別様可能性や全体性からの疎外--に基づいて、ただひたすら前に進む存在である」と述べているように思います。
 彼はブントです。ブントは団Bundつまりスパルタクス団Spartakusbundをさします。第一次大戦期の社会民主党反党分子のローザ・ルクセンブルクとカール・リープクネヒトらが結成したわけですが、六全協以降の日本共産党反党分子である香山健一や森田実らが結成したのがブントということになります。
 両方ともに党独裁を否定して大衆蜂起に期待するわけですが、大衆蜂起に向けて放送や新聞などの資本主義的ツールを存分に利用し尽くせといった戦略論を持っていました。このあたりは、資本主義の客観情勢が革命の主体的条件を用意するというマルクス主義の公式見解に抗ったルカーチやグラムシと共通する部分があります。
 さて頭山満の座右の銘は西郷隆盛の「敬天愛人」ですが、「敬天」というサフィックス(接尾辞)に裏打ちされている場合であれば「愛人」つまり人を愛する振る舞いが許される。同じく、本質疎外論が物象化的錯視であることを踏まえている場合であれば、疎外概念--受苦的疎外概念--を立てることが許される。これが廣松です。
 人間など所詮は木端。価値などあろうはずがない。そういう思い込みは全て物象化的錯視だ。しかし、だからこそ「人間に価値がある」と言ってみないと、ただひたすら前に進むなんてことはできはしない。これも玄洋社や黒竜会が元来民権派だったと言われるのと同じです。彼らが近代主義者としての人権主義者のわけがない。
 全体にせよ人間にせよ、所詮は仮そめに過ぎない。仮象ないし物象化的形象に過ぎない。それを踏まえればこそ、全体性や人間性に向けて突き進むことができる。それが廣松。その意味で、廣松主義つまり戦前右翼的なものから出発したぼくが、自ら全体性を体得しているんだとばかりに社会設計に乗り出すのは、アリなのです。
 似た対立が一九七〇年のハーバーマス=ルーマン論争です。この時代、ハーバマスは素朴主体主義者・素朴近代主義者を演じ、ルーマンは終わり良ければ全て良しなれども人には終わりがどこか分からないというヘーゲル主義者を演じた。もちろん巷の見方は、ハーバマスが左翼で、ルーマンがテクノクラートだとするものです。
 廣松はぼくに二つのことを言いました。一つは論争はルーマンの圧倒的勝利だということ。もう一つはドイツの新左翼はルーマンの側に立っているということ。これは単なる客観的な診断ではなく、廣松のコミットメントを示すだろうと思います。「全てが仮象なのであれば何でもありだ」とした上での「革命」ということです。
 興味深いのはここからです。論争以降のハーバーマスは一挙にルーマンを吸収します。自分の言うことに全部サフィックスをつける。つまり、いわば、敬天を経由して愛人を語るようになるんですよ。廣松的にいえば、「進もうが退こうが物象化的錯視が不可避である以上、あえて進むしかない」という立場に進化するわけです。
 日本の右翼の源流にあたる人たちも、こうしたことをよくわかっていたように 思います。だから、民権派から国権派に転向することに躊躇がなかったのだと思います。あるいは大川周明のような猶存社的な設計主義が、あくまで道具的な関心のもとで、あり得たのではないかと思うです。

宮台 単に「愛人」ではなくて「敬天愛人」であること。西郷が「民主主義」でなく「儒教的民本主義」の立場をとることからこそ、「敬天愛人」にならざるを得ない。なぜなら、民本主義はパターナリズムですから、何が民にとって良いのかを「上から目線」で判断せざるを得ず、判断の正当性は不確かだからです。
 「民本主義=パターナリズム」と「敬天愛人=不可能な全体性の参照」との組み合わせ。あるいは“「パターナリズム&全体性参照」を「すべては仮象」という構えのもとで温存する”こと。こうした構えが猶存社にも継承されたのではないでしょうか。猶存社を設計主義的無謬主義だと断じるわけにはいかないだろうと思います。
 “「パターナリズム&全体性参照」を「すべては仮象」という構えのもとで温存する”発想をぼくは廣松物象化論から学びました。だからぼくは廣松が戦前右翼から連続していると考えるわけです。それを戦前の亜細亜主義に言及せずに、普遍主義的な仮象で正当化すべく、マルクス主義を持ち出しているのが、廣松ではないか、と。
 こうした立場に立つ者は「人を見て法を説く」やり方をせざるをえない。場合によっては主体主義者のように、また別の場合には実存主義者のように振る舞わざるを得ない。全体性があるという言い方をしたり、生活世界はあるという言い方をしたりする。ただし道具的関心に基づいて言うだけで、本当に思ってるわけじゃない。
 ぼくはそういう構えを救済したい。戦前右翼の世直しってそういうものだと言いたいんです。それが巷間語られる右か左かはどうでもいい。「敬天」すなわち「不可能な全体性の参照」のサフィックスがついているかどうかです。サフィックスがついているかどうか不可視で、わかる奴にしかわからない面があって危険ですが。

革新右翼と設計主義
宮台 微妙な問題だからどう答えていいか、迷いますね。率直に言うと、ぼくは彼らを戦前右翼の系列の王道だと捉えることにそれほど否定的ではありません。というのは、「超越的なものを参照する設計主義者」の極北に、亜細亜主義の最終形態としての日蓮主義があると思うからです。

宮台 国柱会の石原莞爾や宮沢賢治を見て思うことは、「超越的なものを参照する設計主義者」にとって、超越的なものは―それは天皇であったり日蓮であったりするわけですが―究極の価値合理性の源泉なのか、単なる目的合理的つまり道具的な手段にすぎないのかが、本質的な意味で決定不能であるということです。
 田中智学に従えば、日蓮主義者にとっては日蓮が大元帥。天皇は賢王つまり道具です。まずは国民に天皇絶対主義を説き、次段階で天皇を日蓮宗に改宗させれば、最終的に日本人全員が世界革命の戦士になれるという図式。でもこの図式における大元帥日蓮という概念がどの程度誠実な信仰の対象なのか、不明です。
 智学を読むと、天皇が道具だと観念される位だから、日蓮だって道具だと観念されているんじゃないとの疑惑を禁じ得ない。そう感じる理由は、ぼくの原体験に関係します。中学二年で読んだ高橋和巳『邪宗門』の影響です。ある種の信仰に殉じることそれ自体が当人自身にとって実は道具的でありうるという恐ろしい内容です。
 『邪宗門』の主人公千葉潔のように、最終的には、のたうち苦しんでいる人々を救うことこそが絶対的な目的としてあるんじゃないか。世直しこそが絶対的な目的としてあって、あとはマルクス主義だろうが宗教だろうが、有効であれば何でもいいという発想をしていた可能性があるのではないか。それが高橋和巳の見立てです。
 宮沢賢治にとっての法華経とか日蓮って何なんだ。あれほど初期ギリシア的な万物学的感受性に開かれていた賢治が、初期ギリシャの万物学者ならば批判するような超越的特異点を持ち出して本当にそれに帰依するなどということがあり得るのか。軽々にそうだと言えないのではないかと思うんです。
 いつもぼく自分の話を持ち出してしまって恐縮だけれども、ぼくもソーシャル・デザイナーを自称する設計主義者ですが、これは周到にやれば設計がうまくいくと信じているからではありません。むしろ設計はかならず失敗すると確信していますが、再帰性が貫徹する近代社会では、設計しないこともまた設計なのです。

宮台 何かするしかない。何もしないことも何かしていることと同じだからです。そんな泥沼の再帰性に耐えるために道具的価値をもつのが、超越性という仮象ではないか。と、ぼくは裏側から読んじゃう。北一輝にしろ大川周明にしろ、世界規模での世直しこそが絶対的関心ではないか。超越性への帰依があってそれ故に設計が正当化されるという理路は、石原莞爾においてすらないのではないか。

宮台真司の戦略
宮台 今まで述べてきたようなぼくのような立場は、中島さんのような立場からする警戒的監視があって、初めて機能すると思っているからです。ぼくがそう思うようになったのは、ルーマンとハーバーマスの論争を研究したからです。論争時の二人は、互いに相手があって初めて機能するような関係にあったのです。
 (1)ハーバーマスは生活世界があると言う。(2)ルーマンは生活世界は仮象だと言う。(3)だがルーマンの言う通りだと思う我々も、現実の生活においては生活世界の存在を前提にするしかない。つまり生活世界は「恣意的だが非任意的」です。だから先に述べたように、ハーバーマスは、ルーマンを吸収して一人何役も演じ始めます。
 実は、ハーバーマスは、のちに自分一人で何役も演じるためにこそ、あえて無名だったルーマンを論争に引きずり出して、あえて論争に負けたかのように演じたのではないか。論争に負けた後、しかし、実践的推奨を全く変えずに、ルーマンを取り込む。すると(1)~(3)の一人三役で、実践的推奨が、何倍も免疫化されるからです。
 ぼくが堀内進之介と共著した『幸福論』(NHKブックス、二〇〇七年)でも、堀内がハーバーマスのような立場をとり、ぼくがルーマンのような立場をとり、そのことで「ウロボロスの蛇」のような相互呑み込み構造を提示しようとしました。これは、ファシズムを擁護するぼくが危険を自覚して準備した防波堤なんです。
 全体性は触知できないので、設計は必ず間違えます。だから、設計は正しいのだ、現に皆がそう思ってるじゃないか、といった動員は根本的に間違っています。でも、地域であれ国家であれ、近代社会でそれ以外の世直しってありうるのでしょうか。パターナリズム(温情主義)を欠いた社会制度の推奨ってありうるのでしょうか。
 教育もパターナリズムです。子供には右も左も分からないからと、子供が選んだわけでもない恣意的な枠組をインストールする。これには厳密な意味での正当性はありません。単に俺もそう教わってきたし、皆もそう教わってきたという、非任意的な事実があるだけです。教育とは「恣意的だが非任意的な」パターナリズムです。
 つまり教育とは事実性を口実にして社会成員を束ねるファシズムの一形態です。そこから二方向ありえます。一つは、教育はファシズムだと自覚した上で教育を徹底的に利用する方向性。もう一つは、教育はファシズムで危険だから徹底的にウォッチして批判しよう方向。しかし、常に既に教育は行なわれ続けているわけです。
 常に既に教育が行なわれている以上(先ほどの(3))、教育はファシズムだと自覚した上で徹底利用を図る方向と、教育はファシズムで危険だから徹底批判しようとする方向とを、車の両輪にして前に進むしかないんですよ。それがぼくの立場です。それを一人でやるのは尤もらしくなく分かりにくい。だから批判者を必要とする。

危機のときにどう行動するか
宮台 いじわるな質問をします。コミュニタリアンは保守主義者です。マンハイムが言う意味での再帰的伝統主義者であって、パターナル(上から目線)です。コミュナルなものが我々のコミュニケーションを支えており、リベラルという感覚をも支えている。コミュナルなベースを人為的に再生産しようとします。
 ところがウォルツァーが、9・11以降のアメリカによるアフガン攻撃を全面擁護し、昨今ではイスラエルのガザ地区封鎖の全面擁護しました。そのロジックは、ウォルツァー自身は引用していませんが、マックス・ウェーバーの政治責任論そのものです。これは簡単に言うと「不可知論をベースにした行動の指南書」なんです。
 ウェーバーのロジックはこうです。政治家の責務は政治共同体の命運を確保すること。市民の法に従っていては政治共同体の運命を確保できない場合、どうするか。市民の法を逸脱し、政治共同体の将来を守るべく命をかけるべきだ。むろん市民の法を破ったかどで血祭りに上げられるかもしれない。だがそれは仕方ないのだと…。
 ウォルツァーはそれを「汚れた手」の概念で継承し、先制攻撃論を出してきます。反撃権が国際法で許容されている。だが核の時代、敵が核ミサイルのボタンを押せば数万人規模でこちらが死ぬ。だったら敵がボタンを押す寸前に敵の核基地を殲滅するのが正しい。どうせこちらがボタンを押すのが1~2分早まるだけの問題だと。
 たった1~2分間先にボタンを押すことが国際法に反するからとビビるような政治家は無責任だ。政治家は責務を果たすべきだ。ウォルツァーはそう言います。ところで、敵がボタンを押すだろうとの観測が勘違いだったことが、後で分かったらどうするか。その場合、勘違いを追認した政治家を血祭りにするしかないとします。
 ウォルツァーはコミュニタリアン左派と呼ばれますが、左派というよりコミュニタリアンの本質を示します。コミュニタリアンは再帰的伝統主義者なので、とりわけ非常時には、パターナルに共同体保全のための積極的施策を推奨します。国外では核基地殲滅になりますし、国内ではテロ分子殲滅になる。実にネオコン的です。
 つまり、ウェーバーからカール・シュミットを経て、コミュニタリアンのウォルツァーに、政治責任論における決断主義が継承されているんです。三者に共通して、その決断は、少なからぬ場合において誤りだから、その場合に血祭りに上げられる覚悟を持つということが政治倫理になるんだ、という話になっています。
 そこで、中島さんに質問です。平時に、設計主義の否定や世直しの否定などを通じて、良きものを保守しようとする保守主義者がいたとして、暴虐無人なナラズ者国家や狡猾なテロリストによって脅かされて危急存亡の瀬戸際を迎え、国際法や国内法を踏み越えないとどうしようもないとき、どうされるのですか?

宮台 さっき「ウロボロスの蛇」の喩えを出しましたが、保守主義とは他に決断主義者がいて無視できない勢力を持つという事態に、パラサイト(寄生)する思考です。全体主義者がいるからこそ保守主義者がいる。全体主義がなければ、あるいはフランス革命がなければ、保守思想はまったく意味をもたない思想です。
 より穏当かつ正確に言えば、人間の理性に対する理神論的な信仰さえなければ、保守主義なんて意味をもたないのです。だからこそ、実践論の面で言うと、保守主義者から「保守主義である以上、こうしなければいけない」みたいな行動指針が、ダイレクトに出てくることはあり得ない。だから保守主義は批判の思考なんです。
 保守主義=平時の思考、右翼=戦時の思考と分けましたが、これも正確に言えばこうなります。認識次元では、保守主義的に「人間の理性的判断でさえ誤りに満ちている」と冷えた頭で理解した上で、具体的な行動次元では、不可能性―何が不可能なのかさえ不確かですが―に殉じる形で右翼的=美学的なものを貫くしかないと。
 共同体の危急存亡に面してじっとしている保守主義者は、左脳的には、人為の誤りについての認識は適切で合理的に思考していますが、右脳的には、人間として鈍感で自己陶冶を遂げておらず、醜悪な不作為に加担していると言わざるを得ない。こう言うと、お前は戦前の頽落した亜細亜主義者と同じじゃないかと言われますが。
 昔からよく話だけど、田母神元幕僚長の如き輩が、大東亜戦争には亜細亜主義的な大義があったと言うでしょう。これは馬鹿の言うことで、誰もが知るべき常識は、「亜細亜主義には確かに大義はあったが、大義は簒奪され利用され、陸軍参謀本部や海軍軍令部の拡張主義につながった」ということです。
 「ライフラインを守る、ABCD包囲陣を打破する、そのためには対米開戦不可避なり」と。これも大義として正しい。しかし参謀本部や軍令部で、かかる大義ゆえに動機づけられていた者はむしろ少数で、大義を文字通り錦の御旗として、参謀本部と軍令部の間でセクショナリズムの鍔迫合いを続けていたというのが実態です。
 ウェーバーはこの種の頽落を「形式合理性による実質合理性の簒奪」と呼ぶ。形式合理性による実質合理性の簒奪が今の日本でも続いています。問題は、かかる簒奪された大義によって、大義なき戦争が開始された場合、どう振る舞うべきかです。この場面で、素朴に加担できるとするのも批判できるとするのも、明白に誤りです。
 「簒奪された大義による戦争開始」の如き差し迫った立場に置かれていない我々がなすべきことは、そうした「引くも地獄、進むも地獄」の如き逆説的状況がしばしばあり得る以上、そうした逆説的状況に人々を導くような社会的営み自体を回避するということです。逆説的状況下ではどのみち妥当な行動はないと知るべきです。
中島 そうですね。その点でいえば、私は竹内好のような態度は、わかる気

竹内好の実践的態度
宮台 中島さんがそのように正直におっしゃっていただければ、ぼくは中島さんの保守主義に信頼を置くことができます。実は、ぼくも竹内好、好きなんですよ。竹内好のあの行為態度は、マックス・ウェーバーの行為態度と基本的に同じです。ウェーバーは行政官僚制る対して示す行為態度は以下のようなものです。
 市場に任せれば絶対的窮乏化や周期的恐慌が訪れ、やがて社会が無茶苦茶になる。それに対抗するには、市場に介入する組織つまり官僚制を頼る他ない。だが官僚制は形式合理性により頽落する。頽落を押し止めんとすればビスマルク流の社会帝国主義しかない。だがこれ自体極めて危険で社会を破壊し得る。だがそれ以外あるか。
 我々の社会に引きつければこうなる。官僚はいつの時代も行動原則が同じです。どんなに官僚制批判を展開しようが不変です。縦割的で、セクショナリズムで、国益を無視して省益や省益を前提とした自己利益を追求する。どんなに縦割の弊害を乗り越えよと行政官僚らに呼びかけても、組織的にできないようになっている。
 であれは、官僚制批判もいいが、実際に必要なのは、官僚制がいつでもどこでもそのようにしか機能しないことを前提にした上で、それを上書きするような別の外部的な権力を以て介入するしかない。それが行政権力と区別された意味での政治権力であり、先の話でいえば、ビスマルクの独裁的な権力ということになります。
 ビスマルクを出すと独裁だから危険だという話に縮小あがちですが、そうではない。民主主義に基づく政治的決定であっても話は変わらない。行政官僚制への政治的介入が正しいなどという保証はどこにもない。官僚制打破の政治的大義があり、それが正しかったとしても、程なく行政官僚は大義を形式合理的に簒奪し始めます。
 これは平時に限った話じゃない。日本の場合、先の敗戦で滑稽な顛末を呈したので分かりやすいが、実は全ての戦争において起こっている。全ての戦争には大義がある。だが実際に組織的な近代戦が行われる現場では、そこで動く人々にとって大義は関係なくなる。程度の差はあれ必ず暴走や逸脱や私益追求の横車が登場します。
 これは帝国陸海軍がダメだったという話じゃない。米国においても、太平洋戦争で、ベトナム戦争で、イラク戦争で、同じことが必ず起こっています。その意味でこれは摂理なのです。ただ日本の場合、錦の御旗が登場すると、この摂理を忘れて、無警戒となり、賢明な振舞いを国民が相互に要求することができなくなるのです。
 陸軍や海軍による大義の簒奪を批判するのは大切です。丸山真男の言うように、公の大儀を簒奪して私を追求するような帝国陸海軍の振る舞いは許せない。その通りです。しかしこの種の簒奪は日本だけでなく常に既に全ての行政官僚制において多かれ少なかれ起こっていることです。そのことへの自覚と警戒が足りないのです。

宮台 北の思考回路はどうもいい加減な感じがします。右翼としても中途半端だし、ファシストとしても論理が成熟していない。マルクスを読み込んでいるかわりに、ウェーバーを知らないので、大義は必要だが必ず簒奪されるという「ファシズムの不可避性と不可能性」という逆説に鈍感です。

脳天気な時代の薄っぺらな保守論壇
宮台 回り道をしながら答えます。初期ギリシャ哲学やほぼ同時期のソポクレスに代表されるギリシャ悲劇に従えば、「世の摂理は人知を超える」。だが「世の摂理はが確かにある」。ベンヤミン的に言えば、摂理はシンボルによってこれとは名指せないが、砕け散った瓦礫の中に一瞬、星座のように浮かび上がります。
 ベンヤミンは、全体性とはシンボルでなくアレゴリーでしか示せないと考えます。これは初期ギリシア的思考そのものです。なぜならば、アレゴリーでしか示せないからギリシア神話があるからです。ギリシア神話の背後には、ドーリア人侵入に始まる紀元前一二世紀から八世紀までの「暗黒の四百年」の歴史があります。
 「暗黒の四百年」は悲劇の連続です。強盗・強姦・殺人・放火のオンパレード。だからこそパンテオン(神々の集まり)は血の海に浸されています。なぜか。「所詮、人間はこの程度のものでしかない」「所詮、この手の悲劇は繰り返されるしかない」と、理不尽や不条理に対する免役化のためにギリシア神話があるからです。
 人間はどんなに頑張っても「所詮」という言葉が冠せられるような摂理を越えられない。摂理とはある種の全体性ですから、「所詮」と言えるような摂理とはコレとコレとコレだと逐条的に数え上げることはできません。そこに困難があります。だから、それを名指し数え上げたい人々は、エジプト的な超越神を持ち出します。
 しかし、それは頽落だとするのが(初期プラトンによって描かれた)ソクラテスであり、遡れば初期ギリシアの万物学者らの思考です。それを受けて古代ギリシア文献学者のニーチェが唯一絶対神を頼る作法を、唾棄すべき弱者の営みだとするわけです。ニーチェは初期ギリシアの行為態度のルネサンスを図っていたわけです。
 シンボルを頼るエジプト的思考と、アレゴリーしか認めない初期ギリシア的思考。唯一神的宗教と万物学との対比です。しかしアレゴリーを利用する万物学的思考は、経験のベースがなければ機能しません。共同体が全体性を共有するには、共同体が経験のベースを共有する必要がある。だからニーチェは「悲劇の共有」を持ち出す。
 なぜ田母神や「新しい歴史教科書をつくる会」や「2ちゃん系ウヨ豚」のような輩が出て来るか。個人レベルでは、経験のベースが薄いヘタレが溢れるからであり、社会レベルでは、悲劇の共有がない脳天気な時代だからです。でも、社会がそういう輩で溢れるということは、悲劇の共有がない「平和な社会」だということです。
 初期ギリシアに既に主題化されていたように、田母神みたいな輩、古くは蓑田胸喜の如き輩は、いつの時代にもゴミのようにどこにでも溢れている。それこそニーチェの「永劫回帰」です。しかし、そうした輩の存在が許容されるような「脳天気でいられる社会」は「所詮」長くは続かない。であれば「述べ伝え」が必要です。
 「述べ伝え勢力」が手薄すぎるのが日本の問題です。そこはぼくら物書きの責任でもあります。これはすでに述べたように、ある種の行為態度の問題です。行為態度というのは、ウェーバーの「エートス」にぼくが当てた訳です。認識ではなく構えの問題です。だから右翼と保守の本質を、再認識してほしいと願っているのです。
 右翼と保守には、不可知の全体性を踏まえようとする志向が共通します。「表出の根」や「情動の連鎖」を支える共同体的な基盤を護持しようとする志向が共通します。ですが、そうした共同体的な基盤が風前の灯のとき、保守は行動についてインディファレントですが、右翼は行動を呼びかけます。非常時の思考たる所以です。
 今は平時でしょうか非常時でしょうか。平時であれば、ぼくも中島さんのように保守主義者を名乗ったかもしれない。でも、ぼくのみるところ、今は非常時です。共同体の基盤がまさしく風前の灯火です。保守主義の如き「再帰的伝統主義」だけで行動指針が得られるとは思わないということです。ぼくの判断にすぎませんが。
 ぼくは判断の是非を競いたいとは思っていません。ただ、悪い社会になればなるほど、人々は「貧しくても楽しい我が家」の如き感情的安全を求めるようになるのと同時に、尤もらしい理屈よりもスゴイ奴を目前にしたミメーシス(感染的摸倣)を求めるようになります。保守と右翼への志向が同時に高まると言って良いです。
 そのとき、世直しを志向するのかどうかです。世直しを志向せずに「貧しくても楽しい我が家」(の如きローカルな関係性)の護持を志向するということはあり得ます。でも、もはや世直ししかないと思うようになった場合はどうでしょうか。右翼への志向がせせり出してきます。僕はそうした時代に応接しているつもりです。
投稿者:miyadai
投稿日時:2010-05-30 - 12:10:00
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