マル激トーク・オン・ディマンド更新しました。
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■マル激トーク・オン・ディマンド 第379回 [2008年7月4日収録]
タイトル:炭素税はCO2排出削減の決め手となるか
ゲスト:足立冶郎氏(NGO「環境・持続社会」研究センター事務局長)
<プレビュー>
http://www.videonews.com/asx/marugeki_backnumber_pre/marugeki_379_pre.asx
洞爺湖サミットに向けて発表された「福田ビジョン」で、日本政府は2050年までに
温室効果ガスの60〜80%削減、排出量取引の試験的導入など、いくつかの踏み込んだ
方針を打ち出している。しかし、その中に環境税の文言が含まれていたことはあまり
注目されていない。実際には「低炭素化促進の観点から税制全般を横断的に見直す」
との遠まわしな表現にとどまってはいるが、首相の口から「環境税」という言葉が語
られたことの意義は非常に大きいと、炭素税研究会のコーディネーターとして環境税
(欧米では炭素税と呼ばれることが多い)導入を提言してきた足立氏は前向きに評価
する。
すでにノルウェーやオランダ、デンマーク、ドイツ、イギリス、スイスなどのほか、
アメリカやカナダの一部の州などで導入され、CO2の排出削減に効果を上げている
炭素税は、製品のCO2排出量に応じて一定比率の税がかけられるため、生産や販売、
輸送、使用の際に排出されるCO2の量が多い製品ほど税額が大きくなり、消費者に
とっては割高となる。また、企業も排出量削減に努力をすれば税負担が軽減される上、
自社製品の市場での競争力も高まる。つまり、炭素税は一旦導入すれば、市民も企業
も経済合理的に行動するだけで、社会全体としてCO2の排出量を削減することが可
能となる制度といっていいだろう。
足立氏は、排出量取引が、産業界など大口の排出を抑制する効果が高いのに比べて、
炭素税は、個人を含めたあらゆる排出源に対して横断的な効果が期待でき、この2つ
が同時に実施されることで、さらに効果が高まるという。
一般に炭素税と聞くと、単に税負担が増えることを想像し、敬遠する向きが多いよ
うだが、足立氏は、炭素税の導入イコール増税にする必要はないと説く。欧州で炭素
税の導入に成功した国々の多くは、炭素税の導入と同時に既存の税を減税し、税収中
立を実現している場合が多い。つまり、納税者全体にとっての税負担は導入前と変わ
らないが、CO2排出が多い人や企業にとっては増税となり、少ない人や企業にとっ
ては減税となるという。そうすることで、企業活動やライフスタイルの変更を促すこ
とが、炭素税の目的でもある。
このように、一見いいことづくめの炭素税ではあるが、実際には品目ごとのCO2
排出量の計算が難しいため、石油や石炭、ガス、電力などエネルギー品目に排出量に
応じた課税を行い、その使用量に応じて税負担が増減する形式になっている。そのた
め、特定の産業、とりわけ重厚長大産業の負担が突出して多くなる傾向がある。また、
一般消費者レベルでは、低所得層の負担が相対的に重くなる逆進性も指摘される。す
でに制度を導入している国でも、国内産業の国際競争力を維持するために、特定の業
界の税率を下げたり、低所得層を免除するなど、苦労の形跡も見てとれる。
しかし、そのようなレベルよりもかなり初歩的な次元で、日本における炭素税導入
の道のりがかなり遠いことを、足立氏も認める。京都議定書調印後にドイツやイタリ
アなどが相次いで炭素税導入を決めた流れを受けて、日本でも04年頃から環境省を中
心に環境税の導入が検討されたこともあったが、産業界の強い反対によって頓挫して
しまった。
日本では、エネルギーに関連した税が、経産省、国土交通省など複数の官庁にまた
がって管轄されているため、それを統合した形になる環境税の導入には、縦割り行政
の抵抗がもろにかかってくる。また、税収中立を実現するため必要となる既存税の減
税には、財務省が頑として首を縦に振らない。いざ増税となれば、財務省は歓迎する
が、今度は選挙を恐れる政治がそれを許さない。しかも、重厚長大産業主導の財界は、
そもそも炭素税の議論をすることすら嫌っている。
こうなると政治のリーダーシップに期待するほかなさそうだが、国民のほとんどが
環境税イコール増税と認識している中、新税の導入に世論の支持を得るのも、容易で
はなさそうだ。いみじくも今週から始まった自民党税調では、消費税増税の是非とそ
の時期をめぐり紛糾している。
サミット前に、「排出量取引」、「再生可能エネルギー」と続けてきた環境シリー
ズの最終回として、今週は炭素税の意義と実現可能性について、NGOの立場から、
炭素税の実現を訴えてきた足立氏とともに考えた。
<関連番組>
■マル激トーク・オン・ディマンド 第372回(2008年05月17日)
タイトル:日本が再生可能エネルギーを推進すべきこれだけの理由
ゲスト:飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)
■マル激トーク・オン・ディマンド 第368回(2008年04月19日)
タイトル:これでいいのか、日本の排出量取引
ゲスト:諸富徹氏(京都大学大学院経済学研究科准教授)
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「シリーズ: 社会(科)学のラディカリズム」は、大人気のようで大勢の方に申込をして頂いています。
都合により、初回の日程が8月2日に変更となりました。お間違えのないようにお願いします。
下記の要旨にあるように、社会(科)学の入門講座としても企画しています。
関心のある方はふるってご参加ください。
教室を大きなものに換えていただいたので、まだまだ参加可能です。
また、このシリーズの対談相手でもある堀内氏の精読講座「ハーバーマス入門」も7月9日開始です。
ハーバーマスはロールズやフーコーとも交流・論争した社会・哲学者で、第3タームでも取り上げる重要人物。
堀内氏の精読講座「ハーバ�ーマス入門」は理解の格好の手引となるでしょう。
こちらも参加されることを強くお勧めします。
■「シリーズ: 社会(科)学のラディカリズム」
要旨:
この連続講座では、原理レベルと事実レベルの双方に目配せをしながら近代社会を読み解いていきます。
現代社会論としてのみならず、社会(科)学の重要人物のエッセンスを理解する機会としても活用して
頂ける講座です。原則、三回をひとタームとしながら、タームごとに関連しあう二人の学者を取り上げていきます。
この連続講座を通じて、何を変えるべきであり何が変えられないのか、そしてまたこの二つを区別するだけの英知
とは、すなわち「前提を遡る思考の射程と限界」とはどのようなものであるのかについて、皆さんと一緒に考えて
いきたいと思います。
【予定】
第1ターム: ロールズとウォーラーステイン −グローバル化の不可避性
第2ターム: ギデンズとフーコー −近代とはいかなる時代か?
第3ターム: ルーマンとハーバーマス −帰結と動機の政治的な諸関係
社会学者 宮台 真司
政治社会学者 堀内 進之介
曜日・時間・回数土 19:00-20:30 全3回 日程 8/2, 8/23, 9/27
受講料 7-9月(3回) 会員 10,080円 一般 11,970円
申し込みはこちらから:
http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=26849
■精読講座 「ハーバーマス入門− 「人間の将来とバイオエシックス」を読む 」
要旨:
フランクフルト学派の第二世代の旗手であるユルゲン・ハーバーマスは、現代ドイツを代表する哲学者であり、
また卓越した社会学者である。彼の研究活動はいまや哲学や社会学にとどまらず、諸科学の多方面に及んでいる。
それゆえ、ハーバーマスの研究活動をすべて紹介することはできないが、この講座では『人間の将来とバイオエシ
ックス』を取り上げることで、ハーバーマスの議論のエッセンスを紹介することにしたい。
このテクストは、ハーバーマス自身によって、長年の研究活動の成果をバイオエシックスという分野へ展開する試
みとして書かれたものであるので、エッセン�スの宝庫と言え、入門としては最適であると思われる。文体も読みや
すく、遺伝子治療などの具体的な問題が扱われているので、初学者にも無理なく、知的な刺激を楽しんで頂けるこ
とだろう。
初回は、テクスト精読に入る前に、ドイツの思想伝統およびフランクフルト学派と、ハーバーマスの関わりについ
て、また彼の研究活動の変遷を若干ながら解説をする予定である。
備考
必要箇所の抜粋はコピー教材として実費で配布いたします。ご購入はご自由です。
1. 根拠ある断念 5p-32p
2. リベラルな優生学? 33p-75p
3. 自然発生的なものと制作されたもの 75p-124p
政治社会学者 堀内 進之介
曜日・時間・回数 水 19:00-20:30 全3回 日程 7/9, 7/23, 8/6
受講料 7-8月(3回) 会員 8,820円 一般 10,710円
申し込みはこちらから:
http://www.asahiculture-shinjuku.com/LES/detail.asp?CNO=26784
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■マル激トーク・オン・ディマンド 第378回 [2008年6月27日収録]
タイトル:死ぬか殺すかまで若者を追いつめる労働現場の現実とは
ゲスト:雨宮処凛氏(作家)
<プレビュー>
http://www.videonews.com/asx/marugeki_backnumber_pre/marugeki_378_pre.asx
秋葉原連続殺人事件は、結果的に派遣社員の過酷な勤務状況に社会が注目するきっ
かけとなっているようだ。既に舛添要一厚生労働大臣は、「日雇い派遣の原則禁止」
の方針を打ち出すなど、事件の衝撃性から政治もいつになく敏感に反応しているが、
派遣社員やフリーターが抱える問題を取材し、彼らの待遇を改善するための運動に参
加してきた作家の雨宮処凛氏は、派遣労働者の待遇が改善されることは歓迎する一方
で、自分たちが長年訴えても通らなかった要求が、この事件のおかげで一気に通って
しまったことを複雑な感情で受け止めていると言う。
今回の事件が起きる前から、派遣社員やフリーターなど非正規雇用で働く人々には、
人とすら扱われないような、追いつめられた状況があったと、雨宮氏は言う。氏の元
には、「通り魔になりたい」や「みんな殺してやる」というような物騒なメールが以
前から寄せられおり、事件の発生を聞いた時、「ついにやったか」との感想を持った
と語る。
派遣労働者の中でも、加藤容疑者のように地方の製造業で寮生活を送る人は、一度
派遣として働きはじめたら、働き続けるか、ホームレスになるかのギリギリの状況に
追い込まれやすいと雨宮氏は指摘する。
実際、派遣労働者は時給制のため、特に賃金の低い地方では、長時間の残業をして
やっと生活ができるだけの報酬を得ることができるのが実情だ。この少ない収入の中
から寮費や光熱費をひかれ、多くの場合、ギリギリ生活ができる程度の年収100万
円台しか手元には残らない。また、派遣先の都合で突然解雇されることは当たり前で、
1年に数カ所の職場を転々とすることもよくある。
さらに過酷な条件を強いられているが、「日雇い派遣」で働く人たちだ。毎夜メー
ルで派遣先を提示され、翌朝指定の場所に集まる。1日ごとに次々と職場を変わる上、
翌日仕事にありつけるかがどうかがわからないため、翌日の予定すら立てられない。
ケガをしたり、病気をしたら、日々の収入が途絶え、簡単にホームレス化してしまう
例を雨宮氏はたくさん見てきたと語る。
若者たちがこのような絶望的な雇用環境に追い込まれる背景には、派遣法の過度な
規制緩和がある。1986年に人材派遣法が施行された当初は、非正規雇用の対象となる
業種は非常に限られていた。ところが、99年の派遣法改正で、派遣できる業種が原則
無制限になり、04年に製造業も解禁となると、多くの企業がコストダウンのために正
社員を派遣社員に置き換えるようになった。労働市場の規制緩和の一方で、政府は
セーフティネットの整備を怠ったため、今や多くの企業で、派遣社員は名前ですら呼
んでもらえないような非人間的な扱いを受けるケースが後を絶たないという。
雨宮氏たちが運動を通じて求めていることは、「せめて人間らしい働き方を」や
「生活できる賃金を」というささやかなものだが、これまでそれすらも理解されな
かったと雨宮氏は不満をあらわにする。
今週は派遣労働をはじめとした若者たちの過酷な雇用状況の実情と、そのような状
況ががいかに彼らを追いつめているか、そしてそれを改善するためには何をしなけれ
ばならないかを、過酷な非正規雇用の現場を数多く見てきた雨宮氏とともに議論した。
<関連番組>
■マル激トーク・オン・ディマンド 第339回(2007年9月27日)
タイトル:貧困は自己責任でいいのか
ゲスト:湯浅誠氏(NPO自立生活サポートセンター・もやい事務局長)
■マル激トーク・オン・ディマンド 第376回(2008年6月14日)
タイトル:なぜ秋葉原なのか、なぜ携帯掲示板なのか、なぜ無差別なのか
ゲスト:東浩紀氏(批評家・東京工業大学世界文明センター特任教授)
視聴者の方からの多くのご要望を受けて、
湯浅誠氏と鎌田慧氏の過去の番組を再放送いたします。
http://www.videonews.com
■マル激トーク・オン・ディマンド 第339回 [2007年9月27日放送]
タイトル:貧困は自己責任でいいのか
ゲスト:湯浅誠氏(NPO自立生活サポートセンター・もやい事務局長)
<プレビュー>
http://www.videonews.com/asx/marugeki_backnumber_pre/marugeki_339_pre.asx
先月末、厚生労働省がいわゆるネットカフェ難民といわれる人々の実態調査を発表
した。それによると、全国に5400人余りの人々が、住居を持たず、ネットカフェなど
で寝泊りをしているという。
しかし、ホームレスや生活困窮者の支援を10年以上にわたり行ってきた湯浅誠氏は、
彼らは決して新しいタイプの貧困層ではなく、従来からのホームレスと同じ状態の人
々だと語る。湯浅氏はまた、彼らは24時間営業のファーストフード店や公園、友人宅
などを点々としながら、寝泊まりしており、ネットカフェを調査しただけでは全体像
は把握できないとも言う。
住民票がある地域と居住地域が一致せず、行政の福祉からこぼれ落ちている点では、
ネットカフェ難民もホームレスとなんら変わらない。厚生省の調査では、 20代と50代
が多いという結果が出ていたが、湯浅氏が代表を務めるNPOに助けを求めて訪ねて
くるのは、30代がもっとも多く、夫婦や親子、姉妹兄弟がいっしょにというケースも
稀ではないと言う。つまり、従来は、自助努力でなんとかなった人々が、現在は、容
易に貧困に陥りやすく、貧困層として固定してしまう傾向が強くなっていると湯浅氏
は指摘する。
一億総中流社会と言われて久しい日本だが、すでにOECD諸国の中では、米国に
次ぐ格差社会に変貌している現実が、データで明らかになってきている。米国流の新
自由主義的な経済政策を導入し、民営化と自由化を進めた結果、米国と同様に中流家
庭が没落し、貧富の格差が進んでいる。
しかし、財界などを中心に相変わらず「格差を容認しないと国力が落ちる」という
理由から「貧困を自己責任」とする主張する向きも根強く残る。こうした風潮に対し
て湯浅氏は、貧困に陥った人には「教育課程からの排除」、「企業福祉からの排除」、
「家庭福祉からの排除」、「公的福祉からの排除」、「自分自身からの排除」と5つの
排除が複合的に作用しているため、貧困から立ち直ることが非常に困難であると、自
らの経験を元に語る。
神保哲生に代わり、アメリカの貧困問題の取材を精力的に続ける気鋭のジャーナリ
スト堤未果を司会に迎え、貧困の現場で奮闘する湯浅氏とともに、日本の貧困の現状
とその原因や背景を考えた。
■マル激トーク・オン・ディマンド 第281回 [2006年8月18日放送]
タイトル:働かない日本 働けない日本
ゲスト:鎌田慧氏(ルポライター)
<プレビュー>
http://www.videonews.com/asx/marugeki_backnumber_pre/marugeki281_pre.asx
小泉政治の5年間を検証する「小泉政治の総決算」シリーズ第3弾は、長年にわた
り日本の労働者の現状をつぶさに取材してきたルポライターの鎌田慧氏をゲストに迎
え、小泉改革の負の遺産と言われる格差社会の現状について、鎌田氏の豊富な現場情
報をもとに議論を進めた。
鉄鋼全盛の時代から労働問題を取材してきた鎌田氏は、今日の労働者の権利は1950
年代並に悪化していると指摘し、その背景に労働者派遣法や労働基準法などの大幅な
法改正があると言う。厚生労働省の統計によると、パートやアルバイト、派遣などの
社員ではない不安定な形で雇われている人の数は04年に1500万人を超え、今や全雇用
者の3分の1を占める。
かつて戦後日本の炭鉱や土木現場で行われていた、期間工や日雇い労働者を集めて
きて賃金をピンはねする行為は違法行為とされ、それがヤクザ発祥の源になったとま
で言われる。しかし、86年に労働者派遣法が制定されて以来、労働者を派遣して上前
をはねる行為が正当なビジネスとして急速に拡大した。一見、雇用者にも被雇用者に
もメリットがあるかのように喧伝されている労働者派遣ビジネスだが、その実は最少
のリスクで都合良く使い捨ての労働力を得たいと考える企業のためにあり、多くの労
働者が厳しい雇用条件のもとで経済的に不安定な生活を強いられていると、鎌田氏は
警鐘を鳴らす。
鎌田氏はまた、企業がグローバル市場での熾烈な競争に晒される中、かつては企業
が担っていた日本における相互扶助のシステムが崩壊しており、低賃金で不安定な仕
事を転々とする中で将来の見通しがたたない労働者が、行き場を失っていると言う。
特にそれが若い世代で増えていることも、問題をより深刻にしている。
そして、彼らの閉塞感や絶望感に巧みに訴えることで、本来は彼らを追いつめる政
策を実行しておきながら、彼らからまんまと票や支持を取り付けることに成功してい
たのが小泉政権の本質だというのが、鎌田氏の見立てだ。
それにしても日本はいつから働きたい人が働けない国になってしまったのか。格差
社会の長期的な影響はどこに現れるのか。小泉政権の交代で、状況が改善される可能
性はあるのか。鎌田氏と共に考えた。
◯
■近年「ニート」(NEET、not in education, employment and training、学生でないのに就業せず職業訓練も受けない成人)という英国政府が用い始めた言葉によって、我が国でも若者が社会性を失う現象--非社会性--が名指され、社会問題になっている。国レベルでも自治体レベルでも、政治や行政が「ニート対策」に取り組み始めている。
■だが、我が国における問題化のされ方と他国のそれとはかなり異なる。我が国では「自立」できない若者への「自立支援」という問題の立て方が専らだが、「ニート」という言葉を生み出した英国では、「個人の不全」personal imperfectionの問題より「社会の不全」social imperfectionの問題として議論され、各国の政策に大きな影響を与えてきた。
■ニート概念は、英国政府の社会的排除局の報告書『ギャップを埋める:教育・雇用・職業訓練に参加しない16-18歳の若者に対する新しい機会』の題名に由来する。社会的排除局はブレア政権発足直後97年に設置されたが、自治体レベルでは以前から社会的排除対策が議論されてきたものだ(サウスグラモーガン州職業訓練企業会議の94年報告書なと)。
■社会的排除social exclusionの概念自体は、フランスのルネ・ルノアールの著書『排除』(1974年)で初登場するが、今日では社会的排除の解消は欧州各国政府の共通政策となっており、97年のEU基本条約(アムステルダム条約)や2000年のニース条約に政策的重要性がすでに明記されている。後述する通り、日本ではこのことが殆ど理解されていない。
■社会的排除局の報告書によれば、働く気も訓練を受ける気も教育を受ける気もなくにブラブラする若者は、貧困の悪循環をもたらす社会的排除の結果だ。これを解消せずして積極的是正措置などで動機づけ支援を打ち出しても、効果が乏しい。貧困の悪循環とは、動機づけが乏しいので貧しくなり、貧しい育ちなので動機づけが乏しくなることを言う。
■かくして報告書は、悪循環を解消するには社会的包摂social inclusionの回復こそが必要だと結論づける。一口でいえば、「個人に問題が生じているので政治や行政が個人を支援せよ」ではなく、「個人に問題が生じているのは、社会的包摂が失われているのが原因だから、社会が包摂性を回復できるように政治や行政が支援せよ」という図式なのである。
────────────────────────
■日本でニート概念が誤解され、「社会の問題」というより「若者の問題」として理解された背景に、二つの要因を指摘できよう。第一は、日本においてはニート問題が議論される直前まで、フリーター問題がいわば「怠業批判」として議論されていたこと。第二は、「近代社会として望ましい社会の在り方」という観念が我が国に乏しいことである。
■英国がニートを問題化した背景には、新自由主義政策で知られるサッチャー政権の時代から人口に膾炙した「能動的市民社会性」active citizenshipの概念がある。今日のグローバル化をもたらした市場原理主義の、元凶として批判されがちな新自由主義だが、新自由主義はそもそも市場原理主義では全くない。能動的市民社会性の概念を軸に説明しよう。
■今日の欧州では、能動的市民社会性が社会的包摂と表裏一体だと解される。加えて、グローバル化の副作用を中和するには社会的包摂が不可欠だとも解される。新自由主義者の提起した能動的市民社会性は、社会的排除解消=社会的包摂がEUの共通理念である事実に象徴される通り、グローバル化時代における最も重要な政策理念の一つとなっている。
■能動的市民社会性の概念は、サッチャー政権とメイジャー政権で大臣を歴任した保守党のダグラス・ハードが、第3次サッチャー政権で内相を務めた際に提起する。政府外で活動する地域・家族・結社の相互扶助を「国家からの社会の自立」として擁護したものだ。サッチャー首相によって性別役割分業の擁護などと重ねられて、誤解されがちになった。
■ハードは能動的市民社会性を「過保護国家」nanny stateと対比する。これは第一に、財政を圧迫する福祉国家体制を批判して「小さな政府」を推奨し、第二に、能動的市民社会性をビクトリア朝的なボランタリズムに遡る社会的相続財産だと見做すものだ。日本で新自由主義というと専ら前者が注目されるだが、偏った理解だろう。
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■能動的市民社会性の概念は、労働党に近い政治思想家デビッド・グリーンや保守党に近い政治思想家バーナード・クリックらによって彫琢され、労働党ブレア政権下のブレインを勤めた社会学者アンソニー・ギデンズにおいても中核的な政策目標に据えられた。能動的市民社会性への動機形成と期待形成を支えることこそが政治の役割だというのである。
■就任後の所信表明演説でブレア首相が「一に教育、二に教育、三に教育」と述べたのは有名だ。これは「社会を国家に依存させるのでなく、逆に社会を国家から自立させるためにこそ、国家が社会を支援する」という政策目標を噛み砕いたものだ。こうした政策目標を、ギデンズが「社会投資国家」social investiment stateという言葉で表現している。
■ここにはグローバル化の下では国家が社会を支えない限り社会が空洞化するとの問題意識がある。これはEUの基本理念「補完性原理」the principle of subsediarityに合致する。大切なのは社会で、国家は社会を補完する装置だとする観念だ。ここに、グローバル化に耐える厚みのある社会を支えることが政治や行政の機能だとする共通の見識がある。
■ブレア政権下で社会的排除局がニート対策を打ち出したのも、能動的市民社会性の維持・回復にこそ主眼がある。家族・地域・結社など社会の相互扶助メカニズムからこぼれ落ちた者が、そのことで社会の相互扶助メカニズムに能動的に関わる動機づけを持たず、それゆえ社会の相互扶助メカニズムがますます空洞化するという「悪循環」に照準する。
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■我が国の「ニート対策」を見ると、国レベル・自治体レベルの双方ともこうした問題意識に乏しい。それは「自立支援」という言葉に象徴される。若者が個人として経済的に自立できればそれで良いか。経済的に自立した若者が、自立したがゆえに社会的な相互扶助を軽視するなら、社会は分厚さを失い、個人がグローバル化に直接に晒されがちになる。
■国家予算80兆円のうち、20兆円が利払いを含めた借金返済、20兆円が自治体への配分、20兆円が社会保障費に充てられる。残り20兆円で、教育、防衛、公共事業を、人件費を含めて賄う。だが税収は40兆円。毎年40兆円の借金が増える。グローバル化の下で個人が酷薄な環境に晒される事態が増えても、福祉国家体制や公共事業体制に戻れない。
■福祉国家体制の時代に比した「小さな政府」は、グローバル化によって、単なる一イデオロギーであることを越えて、中長期的には選択の余地のない現実となった。困窮した個人を政治や行政が直接助けることは、短期の緊急避難的措置として当然だが、中長期的には、個人が社会に包摂されるがゆえに困窮しないで済むような社会投資しかあり得なくなった。。
■ニート問題へのかかる理解は、単に先進国の標準であるに留まらず、福祉国家体制によって始まりグローバル化によって加速された「社会の空洞化=社会的包摂の崩壊」に、政治や行政として如何に対処すべきか、という政策課題に結びついている。本質的な問題は、個人の自立ではなく、社会の自立を、政治や行政が如何に支援できるか、なのだ。
◯
■英国の社会的排除局が着目した「ニート」も含めて、「従来の社会システムが明に暗に前提としてきた社会性を、社会成員が持っていない事態」を、「非社会性」non-socialityという言葉で指し示すことにしよう。加えて、社会成員がそうした状態に立ちいたる過程を、「脱社会化」de-socializationという言葉で指し示すことにしよう。
■社会システムが前提とする社会性を社会成員が持たない事態は多様な仕方で現れる。働く意欲を持たない現象。就職しても短期離職が膨大な割合に及ぶ現象。家族外で社会関係を構築できない現象。長期の性愛関係や友人関係を構築しにくい現象。社会関係の維持に不可欠な感情の制御ができない現象。社会関係の維持に不可欠な感情が働かない現象…。
■非社会性を示す各種の現象の共通項は「反社会性」anti-socialityという概念との対比で明らかになる。反社会的な犯罪が社会への怨念や敵意を背景にすると解されるのに対し、非社会的な犯罪はそうした感情を背景せず、「動機不可解な犯罪」として現れる。80年代以降の先進国で「人格障害」の概念が受容されたのも、そうした犯罪の拡がりが背景だ。
■人格障害とは、精神障害(心の病気)でも発達障害(脳障害)でもないのに周囲や本人がまともな社会生活を送れないと訴えるケースに適用されるカテゴリーである。かつて性格異常と呼ばれていたケースに重なる。ただし「まともな性格」と「異常な性格」を先験的に分けることはできない。「何がまともか」は時代や文化ごとに変動するからである。
■むしろ非社会性の問題は以下のように解される。社会成員には、連続的な肉体的年齢とは別に、不連続な社会的年齢があてがわれる。乳児期、幼児期、学童期、青少年期といった区別がそうである。社会的年齢を同じくする者には、それなりに均質な社会的期待がなされ、おおむね社会的期待に見合う社会成員が育ち上がることが通常的な事態であった。
■だが福祉国家体制化やグローバル化を背景として(具体的には後述の「2段階の郊外化」を経て)、地域や家族や結社(会社を含む)の相互扶助メカニズムの崩壊(後述の〈生活世界〉の空洞化)により、社会成員の心理的発達に大きな個人差が生じ始めたのである。その結果、年齢に応じた社会的期待に応えられない子供や若者が増えたのだろう。
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■フロイトやエリクソン以来、人間のパーソナリティ(性格傾向の組合せ)が段階的に発達することは通説となった。加えてピアジェやコールバーグの発達的構造化仮説以降、現段階から次の段階に進むためには現段階での欲求や課題が概ね満たされる必要があることも通説化した。およそ社会は成育環境を通じて欲求満足や課題満足を与えてきている。
■だが社会の相互扶助メカニズムが空洞化すると、かかる欲求満足や課題満足を与える成育環境が保証されなくなる。すると肉体的・社会的年齢が同じでも心理的年齢がばらばらの子供や若者が育ち上がらざるを得ない。にもかかわらず、現行では肉体的・社会的年齢に照準するばかりで、心理的年齢--発達的構造化段階--に応じた育児や教育が不足する。
■その結果、「社会化の不全」imperfection of socializationが蔓延する。社会化とは何か。非社会性や脱社会化という概念のベースにもなっている社会化の概念は、1930年代に社会学者タルコット・パーソンズによって提唱された。彼は大恐慌の混乱を目撃したことが契機で、人間が社会的存在になるには一定の条件が必要だと見做すようになった。
■社会の秩序は如何にして可能か。ゲバルトへの恐れ(への期待)による秩序維持を答えとするホッブズ的秩序と、人々に宿る内発性(への期待)による秩序維持を答えとするロック的秩序があるとパーソンズは考える。だが、人間が生まれつき社会的だとするロックの議論は科学的に却けられざるを得ない。ならば、内発性を社会が埋め込むしかない。
■同時代の教育学者ジョン・デューイは、内発性を埋め込む営みが「教育」だとした。だが社会学者パーソンズは、そうした「教育」を試みる教員や親の存在を含めた成育環境の全体が、社会成員に内発性を埋め込むのだと考えた。それが、彼の「価値の内面化としての社会化」socializaton as internalization of valuesという中核的概念の意味である。
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■価値や規範の伝達を試みる道徳教育が推奨されるのではない。そうした道徳教師の存在を含めた多要素から成り立つ社会環境の全体が、感情や意志の働きを方向づける事態が注目されている。こうした議論を踏まえて、デューイの後継者を自称するリチャード・ローティは、そうした方向づけの全体を「感情教育」sentimental educationと呼んでいる。
■ローティは、民主制を健全に機能させるには、誰を「仲間」だと感じられるかを巡る感情教育が不可欠だと見做す。先に紹介した社会学者ギデンズも、社会成員の感情に左右されがちな民主政治を健全化するには「感情の民主化」--非社会的な存在として育ち上がらないこと--が必要だと見做す。同種の議論が学問の最前線では90年代以降目立ち始める。
■これは先に紹介したパーソンズに似る。パーソンズによれば、かつては社会に感情教育を含めた社会化の機能が内蔵されると信じられたので、国家の介入は最小限にして社会に任せよというリバタリニズム(自由至上主義)やアナキズム(無政府主義)があり得た。だが大恐慌が示すのは、もはやそういう時代ではなくなったということだということだ。
■だから彼は、いわゆる「教育」を越え、社会環境の全体を大規模に作り変えることを企図するニューディール政策を支持した。それゆえに彼の議論は全体主義的だと批判された。ところが、90年代以降の政治思想や、現実のEU的な政治理念の流れは、「社会を放っておけば包摂性を失う」との危機意識において、大恐慌後のパーソンズと響き合う。
■ただし全体主義的なパーソンズや福祉国家体制を築いたニューディーラーへの反省もあって、「社会が社会らしくあるために国家が投資する」「国家が社会を支援するのは社会が国家から自立するため」といった社会投資国家の観念や、「民主主義の目的は合意ではなく合意への異議申立てだ」とするラディカルデモクラシーの観念が拡がった。
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■ベトナム戦争後の米国で用いられ始めた脱社会化の概念は、いったん社会化を達成した存在が社会性を脱落させることを意味する。地上戦に社会性を持ち込んだら戦えない。だから変性意識下での潜在意識の書き換えで、いったん達成された社会化をキャンセルする。そうした存在が米国社会に帰還すれば、軋轢や問題を引き起こさざるを得ない。
■そこで、いったん社会化された後に脱社会化されてしまった人々を「再社会化」re-socializationするプログラムの開発に、政府の資金が用いられた。こうした動き(ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント)から、エンカウンター、ゲシュタルト療法、交流分析、神経言語プログラミングなど「アウェアネス・トレーニング」の手法が生まれた。
■企業研修や自己啓発やコーチングに今日広く用いられるこれらの手法は、元々「書き換えられた潜在意識を書き戻す」という目的を共有する。そこでは「社会化⇒脱社会化⇒再社会化」という手順が想定されている。今日の非社会性を考える際重要なのは、戦時の書き換えがないのに、「普通に」育つだけで脱社会化する過程があるように見えることだ。
■変性意識下での潜在意識の書き換えには、海兵隊の「地獄の特訓」において意図的になされただけでなく、ジャングルでのサバイバルを通じて非意図的にもなされ得る。すなわち心的外傷が脱社会化をもたらす事態も想定される。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の概念がベトナム戦争後に人口に膾炙した背景には、そうした事情が存在した。
■そうした意味で、今日的な非社会性の概念は、戦時における意図的な潜在意識への書き込みや戦場体験による心的外傷が存在しないにもかかわらず、社会性が欠落する、という現象に注目していると言える。だが、分娩後の母子別室化や不適切な早期教育などを含め、平時におけるトラウマチックな過程が存在するのではないかと主張する論者もいる。
■こうした議論に決着をつけるだけの材料には乏しいが、非社会性をもたらす要因群が乳幼児期にまで遡る可能性については、十分に注目しておく必要があろう。自立できない20歳代の若者をサポートするといった行政的施策では到底覆えないような、しかし具体的施策によって比較的短期に改善できる問題領域が存在する可能性があるのである。
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■「従来の社会システムが明に暗に前提としてきた社会性を、社会成員が持たない」という事態を「非社会性」の言葉で名指すと述べた。ここに価値観が絡む微妙な問題がある。一般に、現代の社会システムは、社会成員がかつてほどは「まとも」ではなくても滞りなく回るように変化しつつある。学問の世界ではこれを「主体化から管理化へ」と呼ぶ。
■「主体化」とは哲学者フーコーの概念で、強制抜きでも内発的に秩序行動を生み出すように規律訓練によって主体を整型することを言う。パーソンズの「社会化」に重なろう。「管理化」とは哲学者ドゥルーズの概念で、行動記録のデータベースを用いた環境制御によって、主体化が不十分でも強制抜きに秩序行動を生み出すように誘導することを言う。
■「主体化から管理化へ」は、人事管理の領域で「人作り」のコスト削減をもたらすことに象徴されるように--実際それゆえにグローバル化のベースになる「マネジメントの輸出」が可能になったのだが--統治行為や経営行動のコストを下げる意味合いがある。だから政治学では「ガバメントからガバナンスへ」というスローガンで呼ばれたりもする。
■「主体化」の概念は、人がまともであることによって秩序立つ社会を示唆する。「管理化」の概念は、人がまともでなくても秩序立つ社会を示唆する。どちらが良いのかは価値観が絡む微妙な問題だ。例えば「社会成員がまともであることで殺人が少ない社会」と「社会成員がまともでなくても管理技術によって殺人が少ない社会」という対比である。
■むろん現実には、程度の差はあれ、「社会成員がまともであることで殺人が少ない社会」をめざしつつ、綻びを「社会成員がまともでなくても管理技術によって殺人が少ない社会」の手法で補完するということになろう。だがその場合も、「社会成員がまともではない」ことをどれだけ嘆くのか--管理技術をどれだけ頼るのか--は価値観の問題になる。
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■現実には非社会性は程度問題だ。社会性と非社会性を截然と分割できる訳ではなく、社会性を測る物差しも社会によって変わる。だから、どんな社会性をどの程度要求するのかは恣意的な問題となる。恣意的だというのは、「社会システム次第で、必要な社会性が変わる」と同時に、「社会性への要求次第で、必要な社会システムの形が変わる」からだ。
■どんな社会性と社会システムの型の組合せを選ぶべきか。これは価値観の問題だ。先に「国家が社会を支援するのは、社会を国家に依存させるのでなく、社会を国家から自立させるためだ」と述べた。自立した社会とは、相互扶助メカニズムゆえに包摂的な社会を言う。そうした社会的包摂がどの程度「まともな個人」を必要とするのかも、社会次第だ。
■自己決定的な強い個人を「まともな個人」として要求するような社会的包摂のメカニズムもあるし、共同体同調的な弱い個人を「まともな個人」として要求するような社会的包摂のメカニズムもある。日本社会は長らく後者だったが、それが国家への依存を深化させる重大要因でもあった。かつてよりも強い個人--個人の自立--が要求されるのは確かだ。
■どんな社会性をどの程度要求するのかは、どんな社会を良い社会だと見做すのかに応じて変わる。「ニート問題」の源流は「社会の自立」をめざすものだったが、「社会の自立」が「個人の自立」をどの程度要求するのかは、どんなタイプの「社会の自立」を良きものと見做すかで変わる。ニート対策を「個人の自立」に直結する訳にいかない所以だ。
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■社会システムが前提とする社会性を社会成員が持たないという非社会的な事態が、多様な現れを見せると述べた。非社会性を示す各種の現象の共通項は「反社会性」という概念との対比で明らかになるとも述べた。多様な現れについては幾つか例示したが、ここで、反社会的行動との対比で、非社会的行動の多様な現れ方について、一瞥しておきたい。
■非社会性と対比される意味での反社会性という概念は、当事者に怨念や憤激などの反社会的感情が存在することを指す。例えば反社会的行為は「悪いと分かっている状態で」遂行される。これに対し、非社会性という概念は、当事者にこうした反社会的感情が存在しないことを指す。例えば非社会的行為は「悪いと分かっていない状態で」遂行される。
■非社会的行為には、所属集団的要因(世代的環境や仲間的環境)に帰属できるものと、パーソナリティ的要因に帰属できるものがある。そうしたパーソナリティを有する者が多数輩出される場合にはその社会的背景を論じ得る。所属集団的要因による非社会的行為とパーソナリティ的要因による非社会的行為とは、混同されやすいので注意を必要とする。
■所属集団的要因による非社会的行為には、公共空間で地べた座りしたり、電車内で化粧したり、公衆の面前でディープキスをしたり、金のために下着を脱いで売ったり(ブルセラないし生セラ)する振舞いが含まれる。これにも、所属集団特有の規範内容に関わるものと、視線を気にできる仲間の範囲が狭くなるなど行動制御要因に関わるものとがある。
■所属集団的要因による非社会的行為は、シカゴ学派の社会学者らが「サブカルチャー」(下位文化)と名付けた小集団的行動に含まれる。年長者が「最近の若者は…」と嘆く場合、問題とされる振舞いの大半は所属集団的要因--例えば世代集団的要因--に帰属される。これ自体はそれこそ古代社会から存在するもので、今日的であるとは全く言えない。
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■こうしたものと、パーソナリティ的要因に帰属される非社会性とは区別される。今日的な問題はこちらにある。パーソナリティ的要因とは、喜怒哀楽など感情の働きに関わる。動機不可解な犯罪に限らず、傍若無人だとか恥知らずだという批判の範囲を超えて「動機が理解できない」と受け取られる非社会的行為が、パーソナリティ的要因に帰属される。
■例えば、長続きする感情的紐帯を作れないので恋人形成や家族形成から退却するという振舞いは、所属集団の文化的作法というよりも「そうしようとしても出来ない」というパーソナリティ上の問題だろう。働く意欲が持てないことや、解職される訳でもないのに職場で長続きできないことも、同様な理由によってパーソナリティ上の問題であり得る。
■誰でも良いから人を殺したかったとの理由での殺人行為も、普通なら働くはずの感情が働かないという意味でパーソナリティ的要因が大きい。見知らぬ者同士が楽に死ねる手段を共有して集団自殺するネット心中は、自殺サイトに慣れ親しむという所属集団的要因と、死ぬべき強い理由がないのに生きられないというパーソナリティ的要因が両方絡む。
■どんな社会システムも、社会成員に一定枠内の感情プログラムがインストールされていることを前提とする。何らかの理由で、適合的な感情プログラムのインストールに失敗した場合、その社会システムにおける家族生活も就業生活も、友人関係も性愛関係も、継続的に営むことが困難となる。この困難さが社会成員を追い詰めていくことにもなり得る。
■こうして非社会性ゆえに追い詰められた社会成員が、反社会的な逸脱行動に及ぶケースも増えつつあると思われる。集団ネット自殺や動機不可解な殺人などの少なくないケースが該当すると推定される。パーソナリティ的要因による非社会性ゆえに追い詰められる状態--当事者の生きにくさ--を解消すべく、公的関与が要求されざるを得ない所以である。
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